赤坂で 見つけ! 昔いろいろ
寄り道散歩 (2023/02/24 05:29)
江戸時代以前は奥州街道の人馬中継地、江戸時代は武家地・寺社地・町人地が混在するに多様な土地、明治以降は軍需でにぎわう華やかな街、戦後はラジオ・テレビ局を中心とするオシャレな街、ここはいつの時代も多くの人が行き来していた。時の流れをさかのぼり、昔を見つける散歩に出かけよう。
0スタートは「赤坂見附」「永田町」から
東京都港区元赤坂一丁目
出口Dから地上に出て直進、横断歩道を渡る。お濠を左に見ながら坂を上がると左側に石垣が見えてくる。→①へ
出口7から地上に出たらUターンする。お濠を左に見ながら坂を上がると左側に石垣が見えてくる。→①へ
出口7から地上に出たらUターンする。お濠を左に見ながら坂を上がると左側に石垣が見えてくる。→①へ
寄り道散歩 (2023/02/24 05:44)
1「赤坂門跡」見張りがいたので見附とよばれている
東京都千代田区紀尾井町
江戸城外廓(そとくるわ)門のひとつ。渡櫓(わたりやぐら)門や高麗(こうらい)門は明治4(1871)年から翌年にかけて取り壊され、今は石垣だけが残っている。写真付きの解説パネルがある。また、ここは大山街道の起点でもあった。
寄り道散歩 (2023/02/23 17:14)
道案内 石垣のすぐ先を左折する。
石垣のすぐ先を左折する。
左側に石造りの広場があるので入る。この辺り一帯が東京ガーデンテラス紀尾井町だ。
曲がり角にも地下鉄永田町の出口
元赤坂プリンスの敷地を中心とした東京ガーデンテラス紀尾井町
2「東京ガーデンテラス紀尾井町」旧華族の屋敷跡
東京都千代田区紀尾井町
江戸時代は紀州徳川家上屋敷、明治以降は北白川宮邸、李王家東京邸と変遷してきた。昭和27(1952)年に国土計画興業が土地建物を購入、昭和30(1955)年に赤坂プリンスホテルを開業させた。プリンスホテルは平成23(2011)年に営業を終了し、その跡地に商業施設・オフィス・ホテル・マンションなどがある東京ガーデンテラス紀尾井町が平成28(2016)年に竣工した。
寄り道散歩 (2023/02/23 17:35)
道案内 石造りの広場からお濠を左に見ながら、ビルに沿ってテラスの道を進む。
石造りの広場からお濠を左に見ながら、ビルに沿ってテラスの道を進む。
石垣に近くに行ける狭い遊歩道への階段を下りる。遊歩道は元のテラスの道に戻ってくる。
花の広場のオブジェが見えてくる。
階段を下り、大通りまで出て左に進む。
紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡の石柱があり、反対側には弁慶橋の説明板がある。橋を渡る。
花の広場のオブジェが見えてくる。
階段を下り、大通りまで出て左に進む。
紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡の石柱があり、反対側には弁慶橋の説明板がある。橋を渡る。
李王家東京邸からお堀の方へ向かうと階段がある
階段を降りるとお堀側から石垣が見える
花の広場のオブジェが見えてくる
紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡の石柱
3「弁慶橋」大工の弁慶さん
東京都千代田区紀尾井町
江戸時代この橋は無く、明治22(1889)年に架けられたものである。架けられたといっても新しく作ったのではなく、神田の岩本町の近くを流れていた藍染川にかかっていた弁慶橋を移設したとのことだ。元の弁慶橋を作ったのが、江戸城普請の大工棟梁「弁慶小左衛門」なる人物
であり、その名前が残されたということらしい。(諸説ある)
であり、その名前が残されたということらしい。(諸説ある)
寄り道散歩 (2023/02/23 17:51)
道案内 橋を渡りきったら横断歩道で反対側に進み、さらに横断歩道で大通り(外堀通り)も渡って
橋を渡りきったら横断歩道で反対側に進み、さらに横断歩道で大通り(外堀通り)も渡って
青山通りへ入る。
青山通りをしばらく進むと、豊川稲荷の入り口と門が見えてくる。
青山通りをしばらく進むと、豊川稲荷の入り口と門が見えてくる。
豊川稲荷の門が見える
4「豊川稲荷」神社ではありません。お寺です。
東京都港区元赤坂一丁目
愛知県豊川市にある「豊川閣妙厳(みょうごん)寺」の東京別院であり、曹洞宗のお寺(本尊はダ枳尼真天『だきにしんてん』)である。江戸時代に大岡家(江戸町奉行大岡越前守で有名)の下屋敷が近くにあり、その屋敷内に祀られていたのが豊川稲荷であった。明治20(1887)年に大岡家の手を離れ、この場所で新たに祀られることとなった。境内には他にもたくさんの神様や仏様が祀られている。融通稲荷で授けられる黄色い紙袋に入った「融通金」を財布の中に入れておくと、金回りが良くなるご利益があるそうだ。
寄り道散歩 (2023/02/23 18:00)
道案内 入り口とは別方向の出口から青山通りに出て、右に進む。 見どころポイント有り
入り口とは別方向の出口から青山通りに出て、右に進む。
横断歩道で青山通りを渡ると、すぐ右に「虎屋」がある。
お茶屋のある方の出口から出ると、すぐ「とらや」のまえに交差点
a寄り道ポイント 豊川稲荷文化会館の茶屋
東京都港区元赤坂一丁目
豊川稲荷の奥にある豊川稲荷文化会館 一階にはレトロな茶屋が並んでいます。昔ながらのおいなりさんやお参りの時にお供えする『お供え物』を買ったり、お茶屋さん定番の「おそば」「茶飯」「ところてん」などの食事もできます。
寄り道散歩 (2023/02/23 18:11)
5「虎屋・赤坂店」ここだけの限定商品もあり
東京都港区赤坂四丁目
室町時代に京都で創業し、明治2(1869)年に東京にも出店した。「やらと」の暖簾で有名な和菓子の老舗である。2Fには虎屋菓寮(喫茶)があるが、いつも行列している。B1のギャラリーで和菓子文化の展示を開催していることもある。
寄り道散歩 (2023/02/24 04:02)
道案内 店を出たら、左に進むと山脇学園の建物が見える 見どころポイント有り
店を出たら、左に進むと山脇学園の建物が見える
突き当たりを左にすすみ、山脇学園の正門を過ぎると右に武家屋敷門が見える。
b寄り道ポイント 「虎屋・赤坂店」地下一階 ギャラリー
東京都港区赤坂四丁目
3階の菓寮(喫茶)はいつも込んでいるが、地下一階のギャラリーはあまり人がいない穴場ポイント。和菓子の歴史や製造工程など興味深い展示が行われている。このほかにも地下にはこの建物を象徴する黒漆の外観に使われたタイルの見本など、建築マニアには見逃せない展示も。トイレもあって便利
寄り道散歩 (2023/02/24 04:10)
6「武家屋敷門」静かに佇み若人を見守る
東京都港区赤坂四丁目
山脇学園中学校・高等学校が所有する武家屋敷門である。三河岡崎藩本多家の屋敷門として、現在の丸の内二丁目に建てられたこの門は、4回も移設を繰り返してきた。1回目の移設は明治時代、海軍予備学校(後の海城中学校)の表門にするため、現在の霞が関二丁目に移された。昭和になって海城中学校は新宿に移転。残された門は昭和6(1931)年に実業家の藤山雷太が購入し芝白金の自宅に移設したのが2回目だ。その後、藤山邸は近畿日本鉄道(株)の所有となったが、門は昭和48(1973)年に山脇学園に譲渡された。翌年山脇学園は千葉九十九里にあった臨海学校施設に移設したのが3回目。そして平成28(2016)年、山脇学園赤坂本校舎新築に合わせて九十九里から再び東京に移設された。堂々とした姿に歴史の重みを感じる。
寄り道散歩 (2023/02/24 04:16)
道案内 十字路を右折して進むと、すぐ先左側の奥まったところに鈴降(すずふり)稲荷がある。
直進すれば牛鳴坂の下り、
元の十字路に戻り、左折して進む。この道は旧大山街道である。
少し進むと右に入る道との分岐点に出る。
直進すれば牛鳴坂の下り、目の前には国際医療福祉大学のビルがある。前述した豊川稲荷が祀られていた大岡家の屋敷というのは、この大学のあたりにあった。
少し進むと右に入る道との分岐点に出る。
直進すれば牛鳴坂の下り、目の前には国際医療福祉大学のビルがある。前述した豊川稲荷が祀られていた大岡家の屋敷というのは、この大学のあたりにあった。
この道は旧大山街道で
目の前には国際医療福祉大学のビル
赤坂の隠れ階段坂 丹後坂
道を右に曲がって直進すると、丹後坂に出る。
丹後坂の階段を下り、右に進む。
丹後坂の階段を下り、右に進む。
こんな都心にこんな路地が
左側一本目の細い横道に入る。
右・左とカギ型に曲がって進むと、少し上り坂になって十字路に出る。
右・左とカギ型に曲がって進むと、少し上り坂になって十字路に出る。
左側一本目の細い横道に入る
右・左とカギ型に曲がって進むと、少し上り坂になって十字路に出る。
十字路を右折して進むと、すぐ先左側の奥まったところに鈴降(すずふり)稲荷がある。
十字路を右折して進むと、すぐ先左側の奥まったところに鈴降(すずふり)稲荷がある。
すぐ先左側の奥まったところに鈴降(すずふり)稲荷がある。十字路を右折して進む
先左側の奥まったところに鈴降(すずふり)稲荷がある。
7「鈴降(すずふり)稲荷神社の旧地」
東京都港区赤坂五丁目
鈴降稲荷は、鉄砲坂(新宿区若葉一丁目)のあたりにあったものが、元禄年間にこの場所に移されてきたと伝わっている。一説によると、徳川家康は「伊賀越え脱出」の時に、山中に建つ観音堂の主・山名孝倫からお守りにと3個の鈴を持たされ、地元の伊賀衆を道案内に付けてもらったのだそうだ。無事浜松に帰還した家康はこの恩を忘れず、江戸開府後に伊賀衆を召し抱えて四谷に土地を与えた。伊賀衆はこの鈴を神鈴とした神社をつくり鎮守にしたのだそうだ。
尚、鈴降稲荷神社は大正14(1925)年に赤坂氷川神社境内の四合(しあわせ)稲荷神社に合祀された。この場所は神社の旧地として地元の方々が小さな祠を守っている。
尚、鈴降稲荷神社は大正14(1925)年に赤坂氷川神社境内の四合(しあわせ)稲荷神社に合祀された。この場所は神社の旧地として地元の方々が小さな祠を守っている。
寄り道散歩 (2023/02/24 04:31)
道案内 赤坂パークの広場
鈴降稲荷の前から元の道に戻り、先に進む。
左側一本目の道に入る。(左手の児童遊園にトイレあり)
赤坂パークへ向かう
歩行者専用通路の先に壁があり、階段がついている。階段を上り右に進む。
大きく左右にカーブしながら道なりにしばらく進む。
右に入る道があるので曲がる。左側は赤坂パークビルだ。
大きく左右にカーブしながら道なりにしばらく進む。
右に入る道があるので曲がる。左側は赤坂パークビルだ。
左側は赤坂パークビルだ。
赤坂パークの広場
直進し、赤坂パークビル裏の大きな広場に入る。
広場の先の方に、樹木の繁る一角があるので入ってみると石碑が置かれている。
広場の先の方に、樹木の繁る一角があるので入ってみると石碑が置かれている。
赤坂パークビル裏の大きな広場、樹木の繁る一角がある
8「近衛歩兵第三聯隊(れんたい)跡」
東京都港区赤坂五丁目
近衛歩兵連隊は天皇を警護する直属の部隊で、第一連隊~第十連隊まであった。現在のTBSや赤坂サカスを含むこの一帯には近衛歩兵第三連隊があり、赤レンガ造り3階建ての大きな兵舎が2棟建っていた。高台に建つ兵舎はとても目立っていたそうである。
寄り道散歩 (2023/02/24 04:40)
道案内 三分坂を下りると右側にお寺がある。
石碑のある一角を出て、上り坂になっている通路を進む。
石碑のある一角を出て、上り坂になっている通路を進む。
石碑のある森を出て右折すると登り坂
大通りに出るのでここを左折する。
信号をこえて進むと三分(さんぷん)坂の上に出る。(坂上の公園にトイレあり)
左折すると3分坂の交差点が見える
三分坂を下りると右側にお寺がある。
信号をこえて進むと三分(さんぷん)坂の上に出る。(坂上の公園にトイレあり)
三分坂を下りると右側にお寺がある。
三分坂を下りると右側にお寺がある。
三分坂は右に曲がりながら下っている
9「報土寺」雷電為右衛門の墓
東京都港区赤坂七丁目
江戸時代の天明・寛政期の力士である雷電は、21年間で254勝10敗という驚異的な成績を残している。報土寺の当時の住職と雷電が同郷だったことや、雷電が寺に梵鐘を寄進した縁で墓がつくられたと伝わっている。
寄り道散歩 (2023/02/24 04:48)
道案内 右に入る道の角に白いタイル張りのマンションが
三分坂下を左折する。
一つ目の十字路を過ぎると、すぐ先で道が二股に分かれる。左の道を進む。
交差点(赤坂五丁目交番前)をこえてさらに直進する
右に入る道の角に白いタイル張りのマンションが
しばらく進むと、右に入る道の角に白いタイル張りのマンションが見えてくる。
マンションの植え込みに勝海舟邸跡を示す柱が立っている。
マンションの植え込みに勝海舟邸跡を示す柱が立っている。
白いタイル張りが見える
10「勝海舟邸跡」坂本龍馬との出会いの場所
東京都港区赤坂六丁目
勝海舟は幕末から明治にかけて赤坂に住んだが、何回か転居をしている。ここは2回目に住んだ場所であり、安政6(1859)年から10年間を過ごしている。坂本龍馬や土方歳三が訪問したのもこの場所である。
寄り道散歩 (2023/02/24 04:53)
道案内 日本銀行氷川分館で
今回一番の坂「本氷川(もとひかわ)坂」へ
ンションの前の横道に入って進む。本氷川(もとひかわ)坂の木柱が立つ坂道を上る。
長く、見所の多い本氷川(もとひかわ)坂へ
右に左にカーブしながら続く「本氷川坂」を楽しむ
坂は右に左にカーブしながら続き、住宅地の中を進む
右に左にカーブしながら続く「本氷川坂」
日本銀行氷川分館で
坂を上っていくと、道の両側に石垣のある塀が見えてくる。右の塀の中は日本銀行氷川分館で、日銀が業務上機密を要する会合等に使用する施設だそうだ。
右の塀の中は日本銀行氷川分館
11「赤坂氷川神社」都会に残る鎮守の森
東京都港区赤坂六丁目
元は、現在の一ツ木通りが青山通りと交わるあたりの場所にあった。享保14(1729)年から翌年にかけて、8代将軍徳川吉宗がこの場所に遷座したと伝わっている。厄除け・縁結び・家内安全の御利益があり、結婚式をここで行うカップルも多い。境内には合祀されている様々な祠や、樹齢400年のイチョウの木など見どころが多い。
寄り道散歩 (2023/02/24 05:05)
道案内 十字路をそのまま直進する。 次の十字路を左折して進むと、正面に銅像が見えてくる。
社殿正面から真っすぐに進んだ南側の鳥居をくぐり道路に出る。
正面の石垣の向こうにはアメリカ大使館職員宿舎があり、基本的に外部の人は入れない。この場所は三井本家の邸宅があったところで、三井山とよばれていた。戦後GHQに接収され、そのまま大部分がアメリカ大使館宿舎になった。
道を左に進む。少し進むと左手に公衆トイレがある。
道を左に進む。少し進むと左手に公衆トイレがある。
右は戸建ての住宅が並ぶメリカ大使館職員宿舎。左にトイレがある
さらに直進すると、十字路に出る。右側の石垣のある下り坂が南部坂だ
さらに直進すると、十字路に出る。右側の石垣のある下り坂が南部坂だ。忠臣蔵の大石内蔵助が、内匠頭の正室に今生の別れを告げに上ってきたといわれる坂道である。
右側の石垣のある下り坂が南部坂
十字路をそのまま直進する。 次の十字路を左折して進むと、正面に銅像が見えてくる。
十字路をそのまま直進する。 次の十字路を左折して進むと、正面に銅像が見えてくる。
十字路をそのまま直進する。
12「勝海舟邸跡」
東京都港区赤坂六丁目
ここは、勝海舟が赤坂で3回目に屋敷を構えた場所である。明治5(1872)年から77歳で亡くなるまでここに住んだ。勝海舟と坂本龍馬が並んだ銅像が立っているが、坂本龍馬は明治になる前に暗殺されており、ここには来ていない。
寄り道散歩 (2023/02/24 05:12)
見どころポイント
c寄り道ポイント 砂場 赤坂店
東京都港区赤坂六丁目
更科・藪とならび、伝統的なそばやの系列である「砂場」の赤坂店。いまやそば屋の定番である「天ざる」はこの砂場が発祥と言われている。最近は見た目がハデなそばが多いが、ここは伝統的なそばを出し続けている。
寄り道散歩 (2023/02/24 05:18)
13赤坂サカス・赤坂Bizタワーがあり飲食やショッピングが楽しめる。
東京都港区赤坂五丁目
銅像と記念碑を左に見ながら道を直進する。
しばらく進むと信号のある分かれ道に出る。
左側の道を進むとやがて並木道になる。
並木道を直進すると、信号があり大通りとの交差点に出る。
道の向こう側は赤坂サカス・赤坂Bizタワーがあり飲食やショッピングが楽しめる。
交差点の下は東京メトロ千代田線「赤坂駅」である。
赤坂Bizタワーをこえて進めば、一ツ木通りや赤坂みすじ通りの繁華街が広がっている。
東京メトロ銀座線・丸の内線「赤坂見附駅」も近い。
しばらく進むと信号のある分かれ道に出る。
左側の道を進むとやがて並木道になる。
並木道を直進すると、信号があり大通りとの交差点に出る。
道の向こう側は赤坂サカス・赤坂Bizタワーがあり飲食やショッピングが楽しめる。
交差点の下は東京メトロ千代田線「赤坂駅」である。
赤坂Bizタワーをこえて進めば、一ツ木通りや赤坂みすじ通りの繁華街が広がっている。
東京メトロ銀座線・丸の内線「赤坂見附駅」も近い。
寄り道散歩 (2023/02/24 05:22)