「若葉・荒木町」 四谷の低地と台地を巡る散歩道
寄り道散歩 (2023/07/08 14:59)
四谷周辺は谷が多い。凸凹の地形は変化に富み、街歩きには人気のエリアだ。なかでも若葉(旧鮫が橋)と荒木町の街並みは成り立ちに大きな違いがあり、歴史好きなら一度は歩いてみたい場所だ。
道案内 スタート JR中央・総武線「信濃町駅」下車→改札を出て大通り(外苑東通り)を左に進む。
スタート JR中央・総武線「信濃町駅」下車→改札を出て大通り(外苑東通り)を左に進む。
歩道橋横の千日坂を下る。
坂を下りると寺がある。
坂を下りると寺がある。
スタート JR中央・総武線「信濃町駅」下車
改札を出て大通り(外苑東通り)を左に進む。
歩道橋横の千日坂を下る。
坂を下りると寺がある。
0「一行院千日寺」新本堂は隈研吾の設計
東京都新宿区南元町
江戸時代初期、この辺りに山城淀藩(京都)永井信濃守尚政の下屋敷があった。永井家の家臣で僧侶になった者がいて、その者のために敷地内に庵を建立したのが始まりである。庵の二世住職は、亡くなった先代の殿様の菩提を弔うために千日間の念仏修行をおこなった。そのために庵は千日寺と呼ばれるようになり、寺のある谷も千日谷と呼ばれるようになったという。平成29(2017)年には新しい本堂が完成した。現代風のモダンな建物である。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:15)
道案内 坂下の公園角を左折する
坂下の公園角を左折する
坂下の公園角を左折する。
しばらく直進すると、道が二手に分かれるが、左の方を進む。
突き当りに公園(みなみもと町公園)があり、その一角に小さな祠がある。
しばらく直進すると、道が二手に分かれるが、左の方を進む。
突き当りに公園(みなみもと町公園)があり、その一角に小さな祠がある。
坂下の公園角を左折する。
しばらく直進すると、道が二手に分かれるが、左の方を進む。
突き当りに公園(みなみもと町公園)があり、その一角に小さな祠がある。
1「鮫河橋(さめがはし)せきとめ神」かろうじて残った鮫河橋の名
東京都新宿区南元町
昔ここを流れていた鮫川のごみ等を取り除くための沈殿池・堰(せき)があった。やがて「堰止め」が「咳止め」に転訛し、せきとめ神が祀られた。鮫川の由来は、海からの入り江が続いていて鮫が入り込んできたから、鮫馬(白い毛の馬)が川に落ちたから、など諸説ある。鮫河橋は町名にもなっていたが、現在は「鮫河橋」と付く町名はすべて消滅している。坂道やJRのガード、神社などに名が残るだけである。(公園内にトイレあり。)
寄り道散歩 (2023/07/08 14:18)
道案内 祠を右に見て直進し、JRのガードをくぐる。
祠を右に見て直進し、JRのガードをくぐる。
祠を右に見て直進し、JRのガードをくぐる。
左に出羽坂の標柱がある。通り過ぎる。
一本目を左に入る。
突き当りを右折して路地に入る。
左に出羽坂の標柱がある。通り過ぎる。
一本目を左に入る。
突き当りを右折して路地に入る。
祠を右に見て直進し、JRのガードをくぐる。
左に出羽坂の標柱がある。通り過ぎる。
突き当りを右折して路地に入る。
2「旧鮫川支流沿いの路地」崖を背にした細長い住宅地
東京都新宿区南元町
江戸時代から狭い谷に民家が密集していた場所であり、現在も同じように住宅が並んでいる。
この辺りの旧町名は「谷町」であるが、その雰囲気は今も残っているような気がする。崖際の狭い通路を歩くことになるので、住民の方に配慮し静かに通り抜けるようにした。
この辺りの旧町名は「谷町」であるが、その雰囲気は今も残っているような気がする。崖際の狭い通路を歩くことになるので、住民の方に配慮し静かに通り抜けるようにした。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:22)
道案内 しばらく直進する。
しばらく直進する。
しばらく直進する。
少し広い道に出るが、そのままさらに直進する。
突き当りを右、すぐに左、その先を右、カギ型に進む。
少し広い道に出たら、左に進む。奥に公園がある。
少し広い道に出るが、そのままさらに直進する。
突き当りを右、すぐに左、その先を右、カギ型に進む。
少し広い道に出たら、左に進む。奥に公園がある。
少し広い道に出るが、そのままさらに直進する
突き当りを右、すぐに左、その先を右、カギ型に進む。
少し広い道に出たら、左に進む。奥に公園がある。
3「若葉公園」谷の奥に隠れた公園
谷頭にあたる場所である。かつてここは陽光寺という寺で、「鐙(あぶみ)の池」という小さな池があったという。源義家が奥州征伐の途中、ここで馬に水を飲ませようとして誤って鐙を落としたという伝承がある。池はなくなったが、水が湧き出ていた痕跡がある。トイレあり。
見どころ→公園の北側に昔からの石垣があり、その下から水が少し染み出す様子が見られる。そこから水路のようなものが地面に作ってあり、かつての池や川を表していると思われる。
見どころ→公園の北側に昔からの石垣があり、その下から水が少し染み出す様子が見られる。そこから水路のようなものが地面に作ってあり、かつての池や川を表していると思われる。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:27)
道案内 公園前の道の角に暗闇坂の標柱がある。標柱の場所から見える坂道を上る。
公園前の道の角に暗闇坂の標柱がある。標柱の場所から見える坂道を上る。
公園前の道の角に暗闇坂の標柱がある。標柱の場所から見える坂道を上る。
坂を上がり切り、突き当たったら右に進む。
少し行くと戒行寺(かいぎょうじ)坂の標柱があり、標柱の前が戒行寺だ。
坂を上がり切り、突き当たったら右に進む。
少し行くと戒行寺(かいぎょうじ)坂の標柱があり、標柱の前が戒行寺だ。
公園前の道の角に暗闇坂の標柱がある。標柱の場所から見える坂道を上る。
坂を上がり切り、突き当たったら右に進む。
少し行くと戒行寺(かいぎょうじ)坂の標柱があり、標柱の前が戒行寺だ。
4「戒行寺」鬼平ゆかりの寺
東京都新宿区須賀町
鬼平犯科帳で知られる「火附盗賊改方・長谷川平蔵宣似(のぶため)」の供養碑がある。もともとあったはずの平蔵の墓は、明治になって子孫が東京を離れたり、寺の墓地が杉並区堀之内に移転したりしたことで行方が分からなくなったとのこと。供養碑は平蔵の200年遠忌(おんき)にあたる平成7(1995)年に建立された。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:30)
道案内 戒行寺坂を下る。
戒行寺坂を下る。
戒行寺坂を下る。
突き当りを右折する。
左側一本目の横道(鉄砲坂の標柱がある)を曲がる。
突き当りを左折し直進する。途中喰い違い丁字路があるがそのまま直進する。
一本目を左に曲がると、西念寺の入り口が見える。
突き当りを右折する。
左側一本目の横道(鉄砲坂の標柱がある)を曲がる。
突き当りを左折し直進する。途中喰い違い丁字路があるがそのまま直進する。
一本目を左に曲がると、西念寺の入り口が見える。
戒行寺坂を下る。
突き当りを左折し直進する。途中喰い違い丁字路があるがそのまま直進する。
左側一本目の横道(鉄砲坂の標柱がある)を曲がる。
一本目を左に曲がると、西念寺の入り口が見える。
5「西念寺」服部半蔵が眠る
東京都新宿区若葉二丁目
徳川十六神将の一人である服部半蔵が、松平信康(徳川家康の長男)の菩提を弔うために麹町清水谷に建てた庵がもとになった寺である。寺名は、出家した半蔵が「西念」と号したことに由来する。境内に半蔵の墓(本堂の右側)と信康の供養塔(半蔵の墓の後方)がある。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:31)
道案内 寺の門を出て左に進む。
寺の門を出て左に進む。
寺の門を出て左に進む。
すぐ先を左折し直進する。(西念寺の墓地裏)
左側観音坂の標柱を通り過ぎ、カギ型に右折し直進する。
突き当りを左に曲がって直進。
突き当り左角のマンション前に説明板が立っている。
すぐ先を左折し直進する。(西念寺の墓地裏)
左側観音坂の標柱を通り過ぎ、カギ型に右折し直進する。
突き当りを左に曲がって直進。
突き当り左角のマンション前に説明板が立っている。
寺の門を出て左に進む。
すぐ先を左折し直進する。(西念寺の墓地裏)
左側観音坂の標柱を通り過ぎ、カギ型に右折し直進する。
6「文化放送発祥の地」セイ・ヤングに百万人の英語といえば
東京都新宿区若葉一丁目
ラジオ局「文化放送」の旧局舎があった場所だ。平成18(2006)年、港区浜松町に自社ビル「文化放送メディアプラス」を新築して移転するまでここで番組がつくられていた。跡地に建てられたマンション「ランテンヌ四谷」の屋上には、非常用の送信設備とアンテナが残されている。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:34)
道案内 左に進むと東福院坂(天王坂)の下りになる。
左に進むと東福院坂(天王坂)の下りになる。
左に進むと東福院坂(天王坂)の下りになる。
坂上右側に坂名にもなっている東福院がある。
坂上右側に坂名にもなっている東福院がある。
左に進むと
福院坂(天王坂)の下りになる。
7「東福院」豆腐地蔵は何も語らず
東京都新宿区若葉二丁目
天正3(1575)年に麹町に建立された寺で、寛永11(1634)年に現在地に移ってきた。この寺には豆腐地蔵という左手の欠けた地蔵像がある。伝承では、あくどい性格の豆腐屋がお地蔵様の左手を切ってしまったことを後悔し善人になったという話が残っているのだが、話の筋に少々合点がいかない部分がある。(お地蔵様がシキミの葉の贋金で人を騙すだろうか?)残念ながら説明板等は無い。お地蔵様の左手の部分を撫でると、傷や腫物が治るご利益があるそうだ。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:35)
道案内 本堂左側の通路を抜けて、裏口へ向かう。
坂を下り、正面に見える石段須賀神社男坂の方へ進む。
坂を下り、正面に見える石段須賀神社男坂の方へ進む。
石段を上がると、右側に神社がある。
石段を上がると、右側に神社がある。
坂を下り、正面に見える石段須賀神社男坂の方へ進む。
本堂左側の通路を抜けて、裏口へ向かう。
本堂左側の通路を抜けて、裏口へ向かう。
鳥居を出て直進する。
突き当りを右折する。
右側二本目、宮本酒店横を右折して進むと、右に寺、左に神社がある。
鳥居を出て直進する。
突き当りを右折する。
右側二本目、宮本酒店横を右折して進むと、右に寺、左に神社がある。
本堂左側の通路を抜けて、裏口へ向かう。
鳥居を出て直進する。
突き当りを右折する
右側二本目、宮本酒店横を右折して進むと、右に寺、左に神社がある。
8「於岩(おいわ)稲荷田宮神社と陽運寺」お岩さんを祀る神社と寺
東京都新宿区左門町
お岩夫婦は仲が良く、ここで幸せに暮らしていたという。お岩は庭に祭った稲荷を厚く信仰し、お岩の死後も地元の人々は「お岩稲荷」と呼んで大切にしてきた。やがてお岩自身も祭神として祀られるようになったそうだ。「東海道四谷怪談」が創作されたのはお岩さんの死後189年も経ってからのことだ。史実と物語ではだいぶ話が違う。明治12(1879)年に火事でお岩稲荷は焼失、支援してくれた歌舞伎役者の勧めで中央区新川に移転することになる。(現在も新川に存続している)その後、昭和27(1952)年に旧地であるここに分社という形で再建された。
陽運寺が立っている場所には、お岩さんが水を汲みに来ていたと伝わる井戸がある。「お岩さま縁(ゆかり)の寺」という所以だ。寺は昭和の終戦後にここに創建された。
陽運寺が立っている場所には、お岩さんが水を汲みに来ていたと伝わる井戸がある。「お岩さま縁(ゆかり)の寺」という所以だ。寺は昭和の終戦後にここに創建された。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:42)
道案内 神社の前をさらに直進する。
神社の前をさらに直進する。
神社の前をさらに直進する。
突き当りを右折して進む。
突き当りを左折すると大通り(新宿通り)に出る。
右に見える「津之守坂入口」信号で大通りを渡る。
右に進むと、「荒木町商店会・車力門通り」の入り口がある。
突き当りを右折して進む。
突き当りを左折すると大通り(新宿通り)に出る。
右に見える「津之守坂入口」信号で大通りを渡る。
右に進むと、「荒木町商店会・車力門通り」の入り口がある。
突き当りを右折して進む。
突き当りを左折すると
大通り(新宿通り)に出る。 右に見える「津之守坂入口」信号で大通りを渡る
右に見える「津之守坂入口」信号で大通りを渡る
9「車力門(しゃりきもん)通り」ここから奥が、かつての花街
東京都新宿区四谷三丁目
江戸時代は松平摂津守(せっつのかみ)上屋敷の通用門に行く道であった。屋敷内へ荷物を運搬する人足(車力夫)が集まっていたため通用門は車力門とよばれていて、それが通りの名称になった(諸説あり)。現在は荒木町の飲食街の一部になっている。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:44)
道案内 車力門通りを進む。
車力門通りを進む。
車力門通りを進む。
突き当りに「とんかつ鈴新」があり、隣に神社がある。
突き当りに「とんかつ鈴新」があり、隣に神社がある。
突き当りに「とんかつ鈴新」があり、隣に神社がある
10「金丸(かねまる)稲荷神社」家内安全・商売繁盛
東京都新宿区荒木町
かつてこの地にあった松平摂津守上屋敷の守護神として天和3(1683)年に創建された神社だ。松平家がここを去り、明治5(1872)年に荒木町が成立すると地元の守護神として信仰されるようになった。現在の社殿は昭和50(1975)年に建てられたものだ。周囲の玉垣には、かつての料亭や土地の名士の名が刻まれている。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:45)
見どころ
東京都新宿区荒木町
見どころ→この通りが「柳新道(やなぎしんみち)通り」だ。先ほどの「車力門通り」と、もう一本西側の「杉大門(すぎだいもん)通り」に挟まれた細道で、かなりディープな雰囲気の飲食店が並んでいる。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:47)
道案内 柳新道通りを端まで直進する。
神社の前を道なりに右に回り込むように進む。
神社の前を道なりに右に回り込むように進む。
回り込んだすぐ先の左側に、狭い横道があるので入る。
突き当りを右折する。
回り込んだすぐ先の左側に、狭い横道があるので入る。
突き当りを右折する。
神社の前を道なりに右に回り込むように進む
り込んだすぐ先の左側に、狭い横道があるので入る。 突き当りを右折する。
柳新道通りを端まで直進する。
柳新道通りを端まで直進する。
大通り(外苑東通り)に合流するが、そちらには行かず右折する。
すぐ先の突き当りを右折して進む。(逆方向から車力門通りに戻ることになる)
左側一本目の横道を入る。
すぐ先の左側に階段通路があるので下りる。
右に小さな池がある。
大通り(外苑東通り)に合流するが、そちらには行かず右折する。
すぐ先の突き当りを右折して進む。(逆方向から車力門通りに戻ることになる)
左側一本目の横道を入る。
すぐ先の左側に階段通路があるので下りる。
右に小さな池がある。
11「策の池(むちのいけ)」華やかだった過去の名残
東京都新宿区荒木町
高須藩松平家は尾張徳川家の支藩であり、石高は3万石と少ないが家康直系の名家として高い格式を誇っていた。この池は屋敷の庭園にあった池で、家康が乗馬用の策(むち)を洗ったことが名前の由来である。明治になって松平家がこの地を去り、池や庭園が一般に開放されると景勝地として人が集まり、明治後期には花街となった。しかし次第に衰退し、昭和58(1983)年に三業組合が解散して花街としての歴史は終わった。現在、池の周辺は一般の住宅が多い。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:49)
道案内 下りてきた階段通路の右隣りの道に入り進む。
下りてきた階段通路の右隣りの道に入り進む。
下りてきた階段通路の右隣りの道に入り進む。
突き当りを右に進む。
石畳の道を道なりに進む。
突き当りを右に進む。
石畳の道を道なりに進む。
12「都電の敷石階段」敷石一枚が200円
東京都新宿区荒木町
この階段の石は、新宿通りを走っていた都電の敷石を再利用したものだ。40年代に都電が次々に廃止されると、敷石は道路からはがされ建築資材などとして払い下げられた。上等な御影石が安く買えるので人気だったそうだ。荒木町内では、ここ以外にも通路や階段に使われている。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:50)
道案内 敷石階段を上がる。途中左側に古い電柱が残っている。
敷石階段を上がる。途中左側に古い電柱が残っている。
上がりきると、先ほどの「とんかつ鈴新」の前である。
前方左に横道があるので入り、直進する。
一つ目の階段を上がり、前方にある二つ目の階段も上がる。
「三栄町」の信号で大通り(津の守坂通り)を渡り、さらに直進する。
「新宿歴史博物館」の案内板があるので左に入る。(角の三栄公園にトイレあり)
しばらく進むと右に博物館がある。
敷石階段を上がる。途中左側に古い電柱が残っている。
敷石階段を上がる。途中左側に古い電柱が残っている。
上がりきると、先ほどの「とんかつ鈴新」の前である。
前方左に横道があるので入り、直進する。
一つ目の階段を上がり、前方にある二つ目の階段も上がる。
「三栄町」の信号で大通り(津の守坂通り)を渡り、さらに直進する。
「新宿歴史博物館」の案内板があるので左に入る。(角の三栄公園にトイレあり)
しばらく進むと右に博物館がある。
13「新宿歴史博物館」旧石器時代から現代までの新宿の様子がわかる
東京都新宿区四谷三栄町
新宿区に関する歴史資料を展示解説している。復元家屋や都電車両など大掛かりな展示もあり見て楽しい。ミュージアムショップにはお土産になりそうなものも色々ある。
常設展示見学¥300。ただし、閲覧室・中庭・れきはくギャラリーの利用は無料。
第2・第4月曜日休館。トイレ利用可。
常設展示見学¥300。ただし、閲覧室・中庭・れきはくギャラリーの利用は無料。
第2・第4月曜日休館。トイレ利用可。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:51)
14「西迎(さいこう)寺」大仏は330年ここにおはします。
東京都新宿区舟町
元は江戸城紅葉山にあった西迎院が起源の浄土宗の寺。江戸城拡張工事のため寛永12(1635)年に現在地に移ってきた。江戸時代は現在よりもかなり広い敷地のある寺だった。入り口すぐ右にある青銅製の阿弥陀如来坐像は元禄7(1694)年に造られたもので、新宿区の有形文化財に指定されている。
寄り道散歩 (2023/07/08 14:53)
道案内 階段を下りて坂道を直進する。
西迎寺の門を出て、右に進む。
西迎寺の門を出て、右に進む。
突き当りを右折し進むと、下りの階段が左にある。
階段右側に隣接する建物がある。
突き当りを右折し進むと、下りの階段が左にある。
階段右側に隣接する建物がある。
西迎寺の門を出て、右に進む。 突き当りを右折し進むと、下りの階段が左にある。
階段右側に隣接する建物がある。
階段を下りて坂道を直進する。
階段を下りて坂道を直進する。
突き当りを左折して進むと大通り(靖国通り)に出る。
大通りを左に進む。
すぐ左にある坂道は上がらずに、そのまま直進する。
左側に上りの階段(手摺が青と黄に塗り分けられている)があるので、そこを上がる。
この階段が暗(くらやみ)坂だ。
しばらく直進すると右側にお堂があり、その中に地蔵像がある。
突き当りを左折して進むと大通り(靖国通り)に出る。
大通りを左に進む。
すぐ左にある坂道は上がらずに、そのまま直進する。
左側に上りの階段(手摺が青と黄に塗り分けられている)があるので、そこを上がる。
この階段が暗(くらやみ)坂だ。
しばらく直進すると右側にお堂があり、その中に地蔵像がある。
左側に上りの階段(手摺が青と黄に塗り分けられている)があるので、そこを上がる。 この階段が暗(くらやみ)坂だ。
しばらく直進すると右側にお堂があり、その中に地蔵像がある。