文京区 「本郷」 御存知・本郷界隈の裏道散歩
寄り道散歩 (2024/03/18 23:32)
街歩きファンなら一度は訪れてみたいと思う場所、それが本郷だ。学生や文士たちが集った懐かしい時代を思い浮かべながら、迷路のような裏道をさまようのも楽しい。
0東京メトロ南北線「東大前駅」下車
東京都文京区弥生一丁目
改札を出たら、出口1へ向かう。
寄り道散歩 (2024/03/18 22:57)
道案内 「鳳明館森川別館」へ
「鳳明館森川別館」へ
出口1を左に進む。
信号で大通りを渡り左に進む。老舗酒店(高崎屋)のある丁字路が旧中山道との分かれ道・追分だ。
そのまま大通りを直進する。
すぐ次の信号「本郷弥生」も過ぎ、右側2本目の横道に入って進む。
突き当りを左折する。左側に木造旅館がある。
信号で大通りを渡り左に進む。老舗酒店(高崎屋)のある丁字路が旧中山道との分かれ道・追分だ。
そのまま大通りを直進する。
すぐ次の信号「本郷弥生」も過ぎ、右側2本目の横道に入って進む。
突き当りを左折する。左側に木造旅館がある。
正面に高崎屋がある信号を渡る、左前方の通りは旧中山道
本郷弥生交差点をさらに直進する
2本目の横道に入ってしばらく直進する
ここで左折して少し進むと左側に鳳明館森川別館が見えてくる
1「鳳明館森川別館」昔懐かしい和風旅館
東京都文京区本郷六丁目
昭和28(1953)年に建てられた木造2階建て旅館。以前この辺りは森川町だったので森川別館の名がある。修学旅行の宿として本館の営業が好調だったためこの別館がつくられた。このあとのコースで本館の前を通る。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:00)
道案内 「求道会館」へ
「求道会館」へ
十字路を過ぎるとすぐ右に、石造りの教会のような建物がある。
鳳明館森川別館の右前方に求道会館が見える
2「求道会館」教会のような仏教のお堂
東京都文京区本郷六丁目
浄土真宗大谷派の僧侶・近角常観(ちかずみじょうかん)によって建てられたお堂である。大正4(1915)年に建設され昭和28(1953)年まで使われていた。その後長らく閉鎖されていたが、復元工事を経て再度公開されるようになった。(公開日:毎月第4土曜日13:00~14:30)
寄り道散歩 (2024/03/18 23:01)
道案内 「森川町交差点」へ
「森川町交差点」へ
さらに直進する。
少し進むと、三角広場のある六叉路に出る。
少し進むと、三角広場のある六叉路に出る。
求道会館の前の道を直進する
前方に森川町交差点が見えてくる
3「森川町交差点」戦前までは神社があった
東京都文京区本郷六丁目
かつてこの辺りに岡崎藩本多家の下屋敷があり、藩祖本多忠勝を祀った映世(えいせい)神社があった場所である。戦後に神社は廃止された。祭神は本多家が引き取り、鳥居は根津神社に保管されているとのことだ。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:03)
道案内 「鳳明館本館・鳳明館台町別館」へ
「鳳明館本館・鳳明館台町別館」へ
広場を真っすぐ通り抜ける道を直進する。
突き当たったら、すぐ左側の道をさらに直進。
突き当りを右折して進む。
左側に木造旅館が2軒見えてくる。
突き当たったら、すぐ左側の道をさらに直進。
突き当りを右折して進む。
左側に木造旅館が2軒見えてくる。
左前方に見える道に入る
ここで右折
右折したあと直進する
進んだ先の左手に鳳明館台町別館が見えくる
4「鳳明館本館・鳳明館台町別館」今も残る歴史的景観
東京都文京区本郷五丁目
鳳明館は明治30年代に下宿屋として開業し、昭和初期に旅館業も併せて営むようになった。本館は改築を繰り返しながら使われ、別館は昭和22(1947)年に建てられたものだ。かつては40軒ほどあったというこのような旅館は年々数を減らしている。現在は改修のため宿泊は受け付けていないが、研修会や懇親会などで部屋を利用することはできるようだ。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:06)
道案内 「旧伊勢谷質店(菊坂跡見塾)」へ
「旧伊勢谷質店(菊坂跡見塾)」へ
鳳明館の前を直進する。
下りの急坂「胸突坂」を下りる。
右側にある和風建築「本郷倶楽部」は、三菱電機ビルテクノサービス(株)の社員施設。
突き当たった道が「菊坂」の通りだ。
通りを左に進む。すぐ左側に土蔵と古い建物がある。
下りの急坂「胸突坂」を下りる。
右側にある和風建築「本郷倶楽部」は、三菱電機ビルテクノサービス(株)の社員施設。
突き当たった道が「菊坂」の通りだ。
通りを左に進む。すぐ左側に土蔵と古い建物がある。
胸突坂の名前通りの急坂を下る
本郷倶楽部
胸突坂を降りて鳳明館方向を見る
目の前の通りが菊坂ここを左に曲がり菊坂を上がる
5「旧伊勢谷質店(菊坂跡見塾)」明治時代の貴重な建築
東京都文京区本郷五丁目
創業は明治の初めころで、昭和57(1982)年に廃業した質店。樋口一葉がたびたび利用したことでも知られる。現在は学校法人跡見学園が所有し、菊坂跡見塾として使われている。週末の金曜・土曜・日曜の12:00~16:00に内部の見学ができる。(無料)
寄り道散歩 (2024/03/18 23:07)
道案内 「金田一京介・春彦旧居跡」へ 見どころポイント有り
「古い消火栓」へ
旧伊勢谷質店の向かい側、少し右に、小さな下り階段があるので下りる。
伊勢谷質店を右に進み少し行ったところの左側に階段がある
この階段を降りる、階段の途中に古い消火栓がある
a古い消火栓
東京都文京区本郷四丁目
段の途中に、コンクリート製の消火栓柱がある。かなり古い物のように見えるが、いつ頃何のために立てられたかなど詳細はわからない。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:09)
「菊水湯鬼瓦」へ
階段を下りたら左に進む。
右側4本目の横道角に記念碑(鬼瓦)がある。
右側4本目の横道角に記念碑(鬼瓦)がある。
階段を降りて左にしばらく進む
曲がるポイントの目印にもなる鬼瓦が見える
b菊水湯鬼瓦
東京都文京区本郷四丁目
かつてここにあった菊水湯という銭湯を記念して、「菊水」の銘が入った銭湯の屋根の鬼瓦が置かれている。菊水湯は明治に創業し、平成27(2015)年まで営業をしていた。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:11)
「金田一京介・春彦旧居跡」へ
鬼瓦のある角を右折し、突き当りを左折すると「鐙坂(あぶみざか)」の上りになる。
坂の左側、白い石垣に説明板がかけてある。
坂の左側、白い石垣に説明板がかけてある。
正面突き当たりが鐙坂(あぶみざか)
鐙坂の説明板
この坂の途中に金田一京介・春彦旧居跡がある
6「金田一京助・春彦旧居跡」趣のある石垣と坂道
東京都文京区本郷四丁目
言語学者・金田一京助が明治42(1909)年の結婚以降に住んだ住居の跡。長男・春彦はここで生まれている。京助は岩手県盛岡市出身で、中学の2年後輩に石川啄木がいた。啄木は東京での生活に関して京助から多大な援助を受けており、この家にもよく来ていたらしい。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:12)
道案内 「樋口一葉の菊坂旧居跡・一葉の井戸」へ
「樋口一葉の菊坂旧居跡・一葉の井戸」へ
金田一旧居跡の手前に、小さな木の門のある横丁入り口がある。
門をくぐって中に入る。(密集した住宅地なので大きな話し声は禁物)
道なりに細い路地を進み、途中で左に曲がると下に降りる階段がある。
階段を下りた先に井戸が見える。
門をくぐって中に入る。(密集した住宅地なので大きな話し声は禁物)
道なりに細い路地を進み、途中で左に曲がると下に降りる階段がある。
階段を下りた先に井戸が見える。
少し戻ってここから入る
最初に左に曲がれる所があるので曲がる
曲がった先の階段を降りる、急なので足下に注意
7「樋口一葉の菊坂旧居跡・一葉の井戸」昔の菊坂町がここに
東京都文京区本郷四丁目
明治23(1890)年9月から約3年間、樋口一葉が母と妹と3人で暮らした場所である。はじめは菊坂町70番地(井戸を背にして正面)、後に菊坂町69番地(井戸の右方向道路側)に住んだ。この井戸は、一葉も利用したと伝わる。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:14)
道案内 「宮沢賢治旧居跡」へ
「宮沢賢治旧居跡」へ
井戸の横を通り抜け、裏通りに出たら右に進む。
左側に、中央に手摺のある上り階段があり、右横に説明板が立っている。
左側に、中央に手摺のある上り階段があり、右横に説明板が立っている。
路地を進み正面の道を右に
曲がったら直進する
しばらく行くと左側に階段が見えてくる
8「宮沢賢治旧居跡」わずか8か月間の東京生活
東京都文京区本郷四丁目
大正10(1921)年に上京した賢治は、本郷菊坂町の稲垣家で間借り生活を始めた。近くの印刷所で働きながら創作活動に励んだという。住んでいたのはこの階段を下りた正面、今は3階建てのマンションがある場所だ。大正13(1924)年に出版された短編集「注文の多い料理店」に収録されている作品のいくつかはここで執筆された。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:18)
道案内 「本妙寺跡と明暦の大火」へ
「本妙寺跡と明暦の大火」へ
階段を上がり、通りを右に進む。
喰い違い十字路に出る。菊坂通りは谷地を通っているため、左右どちらも上り坂になっている。
まず、左折して坂を上がる。
右側にあるマンションの手前に2つの説明板「本妙寺跡と明暦の大火・私立女子美術学校菊坂校舎跡」「第四(本妙寺)校跡」が立っている。
喰い違い十字路に出る。菊坂通りは谷地を通っているため、左右どちらも上り坂になっている。
まず、左折して坂を上がる。
右側にあるマンションの手前に2つの説明板「本妙寺跡と明暦の大火・私立女子美術学校菊坂校舎跡」「第四(本妙寺)校跡」が立っている。
宮沢賢治旧居跡の説明板がある階段をそのまま進む
右折し坂を上がっていく
ここの交差点で左折する
そのまま坂を上がって行くと右前方に案内板が見えてくる
9「本妙寺跡と明暦の大火」火事の火元はどこだったのか?
東京都文京区本郷五丁目
かつてこの坂上一帯は本妙寺の広大な敷地だった。本妙寺は「明暦の大火(振袖火事)」の火元といわれているが、火事の後に大きなお咎めも無くすぐに再建されている。火元は別にあったという説もある。寺は明治44(1911)年までこの地に存続し、現在は豊島区巣鴨5丁目に移転した。私立女子美術学校(現・女子美術大学)菊坂校舎はまさに説明板のあたりに、第四校(現・区立湯島小学校)は本妙寺境内にあった。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:20)
道案内 「文京ふるさと歴史館」「諸井家住宅」へ
「文京ふるさと歴史館」「諸井家住宅」へ
坂を下り、元の喰い違い十字路まで戻る。
直進方向の坂道を上がる。
こちらの坂がもともと「本妙寺坂」とよばれてきた坂だが、本妙寺があったのはこの坂ではない。本妙寺に向かうために下る坂という意味であり、本妙寺があったのは先ほどまでいた坂の上である。
坂の途中右にあるマンションの前に「真砂(まさご)遺跡」説明板と、「菊坂界隈文人マップ」の説明板がある。
坂を上って少し進み、本郷小学校正門前の細い横道を右折する。(横断歩道のすぐ横)
突き当りに歴史館がある。
直進方向の坂道を上がる。
こちらの坂がもともと「本妙寺坂」とよばれてきた坂だが、本妙寺があったのはこの坂ではない。本妙寺に向かうために下る坂という意味であり、本妙寺があったのは先ほどまでいた坂の上である。
坂の途中右にあるマンションの前に「真砂(まさご)遺跡」説明板と、「菊坂界隈文人マップ」の説明板がある。
坂を上って少し進み、本郷小学校正門前の細い横道を右折する。(横断歩道のすぐ横)
突き当りに歴史館がある。
来た坂を下り反対側の坂を上がる
真砂遺跡説明板
本妙寺坂の説明板
小学校正門前で右折し路地に入ると正面に文京ふるさと歴史館が見えてくる
10「文京ふるさと歴史館」「諸井家住宅」築117年の住宅の隣に歴史館あり
東京都文京区本郷四丁目
文京区の歴史について展示する資料館。模型や地図などを使って分かりやすく解説されている。入館料は大人¥100(65歳以上は無料)。毎週月曜日と第4火曜日は休館。トイレ利用可。
歴史館の右隣りは、秩父セメントを創設した諸井恒平が明治39(1906)年に建てた住宅。現在も後継者の所有らしいが老朽化が進んでいるようだ。今後のことはわからない。
歴史館の右隣りは、秩父セメントを創設した諸井恒平が明治39(1906)年に建てた住宅。現在も後継者の所有らしいが老朽化が進んでいるようだ。今後のことはわからない。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:23)
道案内 「弓町本郷教会」へ
「弓町本郷教会」へ
諸井家住宅・歴史館を背にして右方向に進む。
信号「真砂坂上」で大通りを渡り直進する。
左に教会がある。
信号「真砂坂上」で大通りを渡り直進する。
左に教会がある。
右方向に直進する
進むと正面に春日通りが見えてくる、交差点の反対側に弓町本郷教会が見える
天気が良ければ左側にスカイツリーが見える
11「弓町本郷教会」レトロな色合いが美しい
東京都文京区本郷二丁目
日本基督教団に属するプロテスタント教会で、建物は大正15(1926)年に竣工した。中空部のあるブロックを積み上げ鉄筋コンクリートの柱梁と組み合わせた当時としては新しい工法で建てられている。アーチ形の窓枠が並ぶ外観デザインも洒落ている。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:25)
道案内 「大クスノキ」へ
「大クスノキ」へ
そのまま直進する。
すぐ先右側に大きな樹が立っている。
すぐ先右側に大きな樹が立っている。
教会から右前方に見える大きな木が「大クスノキ」
12「大クスノキ」楠木正成とのかかわりもあるクスノキ
東京都文京区本郷一丁目
このクスノキは樹齢600年以上、高さ約24mの巨木だ。江戸時代は旗本・甲斐庄喜右衛門(かいのしょうきえもん)の屋敷内にあった。甲斐庄家は南北朝時代の武士・楠木正成の後裔だという。明治以降、土地の所有者は変わってきたがクスノキは保存され今日まで残った。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:26)
道案内 「壱岐(殿)坂説明板その1」へ 見どころポイント有り
c発酵カフェ「麹・P」
東京都文京区本郷二丁目
大クスノキの向かい側にカフェ「麹・P(Koujchu)」がある。カステラやクッキー・マフィンなどがあり、おやつ休憩するのもよい。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:27)
「壱岐(殿)坂説明板その1」へ
カフェを過ぎ、さらに直進する。
この通りには道の左右にいくつか古い煉瓦塀が残っている。煉瓦塀の由来等については詳しくはわからない。
直進し、横断歩道のある十字路を右折する。この通りが江戸時代からある「壱岐(殿)坂」だ。
右折してすぐ右に説明板がある。
この通りには道の左右にいくつか古い煉瓦塀が残っている。煉瓦塀の由来等については詳しくはわからない。
直進し、横断歩道のある十字路を右折する。この通りが江戸時代からある「壱岐(殿)坂」だ。
右折してすぐ右に説明板がある。
直進する、左側に煉瓦塀が見える
所々に残ってる古い煉瓦塀を探してみるのも面白い
この煉瓦塀には工事予定が貼られている、取り壊し予定なのだろうか?
右折して坂を少し下る
13「壱岐(殿)坂説明板その1」分断された古い坂道
東京都文京区本郷一丁目
坂名の由来は、この辺りに彦坂壱岐守の屋敷があったから、小笠原壱岐守の屋敷があったからなど諸説ある。幕末の江戸切絵図には「イキトノサカ」と表記された道はあるが「壱岐守」の名がつく屋敷は見当たらないので、坂名の由来については当時から諸説あったと思われる。説明板の立っている所だけ昔のままの石垣が残されているのも趣がある。坂はこの先で、新しくできた「壱岐坂通り」によって分断されている。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:28)
道案内 「壱岐(殿)坂説明板その2」へ
「壱岐(殿)坂説明板その2」へ
説明板を過ぎて直進する。
大通り(壱岐坂通り)に出たら右折する。
すぐ先の信号「壱岐坂交番前」の横断歩道で大通りを渡る。
渡ったら右に進む。
すぐ先にある小さな三角緑地の植え込みの中に彫像が置かれている。
大通り(壱岐坂通り)に出たら右折する。
すぐ先の信号「壱岐坂交番前」の横断歩道で大通りを渡る。
渡ったら右に進む。
すぐ先にある小さな三角緑地の植え込みの中に彫像が置かれている。
石垣が残っている坂を直進する
正面に壱岐坂説明板2がある緑地が見える手前の横断歩道を渡る
壱岐坂交番前 横断歩道
14「壱岐(殿)坂説明板その2」彫像の台座に坂道の解説
東京都文京区本郷一丁目
壱岐坂の説明文と地図(江戸切絵図)が刻まれたプレートが台座にはめ込まれている。実はこの彫像の正面に続く脇道が、分断された壱岐(殿)坂の続きなのだ。三角緑地は元の道の名残であり、彫像と説明文は坂の入り口の目印に置かれたのではないかと思われる。
寄り道散歩 (2024/03/18 23:30)
道案内 「都営三田線水道橋駅」「JR水道橋駅」へ
「都営三田線水道橋駅」「JR水道橋駅」へ
彫像の正面に続く脇道を進む。
大通りに突き当たったら左に進む。
すぐ先の信号の横に都営地下鉄三田線「水道橋駅」A6出入り口がある。
さらに大通りを直進し、信号「水道橋」交差点を渡ると右側には
JR総武線「水道橋駅」
がある。
大通りに突き当たったら左に進む。
すぐ先の信号の横に都営地下鉄三田線「水道橋駅」A6出入り口がある。
さらに大通りを直進し、信号「水道橋」交差点を渡ると右側には
JR総武線「水道橋駅」
がある。
直進する、正面に東京ドームが見える
白山通りを左折して進むと三田線水道橋駅入り口
15「都営三田線水道橋駅」「JR水道橋駅」
東京都文京区本郷一丁目
都営地下鉄三田線「水道橋駅」A6出入り口
JR総武線「水道橋駅」
JR総武線「水道橋駅」
寄り道散歩 (2024/03/18 23:32)
JR水道橋駅(東口)
東京都千代田区神田三崎町二丁目
JR総武線「水道橋駅」
寄り道散歩 (2024/10/31 23:06)