品川区 「東品川」 台場跡を探しに品川埠頭と天王洲アイル周辺へ
幕末に築かれた品川沖の砲台場。未完成を含めて8つあったが、今も残るのは第三・第六台場だけ。他の台場は撤去・埋め立てによって消滅した。台場の痕跡を探して品川埠頭・天王洲周辺を歩く。
0JR山手線・京浜東北線「品川駅」
東京都港区港南二丁目
中央改札か北改札を出たら、港南口(東口)方向に進む。
道案内「都バス乗り場」へ
港南口(東口)を出て、正面にあるエスカレータを下る。
地上に降りたら右に回り込み、Uターンして進む。
地上に降りたら右に回り込み、Uターンして進む。
道案内「品99バス乗車場所」へ
突き当り左にある24番バス乗り場でバスを待つ。
バス移動(品川99港南大橋東詰バス停)
「品99品川埠頭循環」か「品99折返・東京出入国在留管理局前」に乗車する。
4つ目のバス停「港南大橋東詰」で下車する。
4つ目のバス停「港南大橋東詰」で下車する。
道案内「品川台場(第五)遺跡・品川台場食堂」へ
バス停前の十字路を左折して進む。
次の交差点の角に食堂と休憩施設がある。
次の交差点の角に食堂と休憩施設がある。
1「品川第五砲台場跡・品川台場食堂」砲台遺構の上は厚生施設
東京都港区港南五丁目
第五台場は嘉永7(1854)年3月に工事を開始、同年12月に完成した。完成後の警備担当は庄内鶴岡藩酒井家。しかし幕府が開国を決定したため砲台は一度も使われなかった。明治時代に芝区管轄となり、その後は港区の一部となる。昭和37(1962)年には埋め立てによって品川埠頭の一部として埋没した。台場食堂の入り口に説明板と、建造に使われた石が置かれている。台場食堂は東京港福利厚生協会が湾岸関係者のために運営している食堂で、一般の利用もできる。土・日休み。7:00~15:00。定食780円、カレー650円など。
「品川台場(第五)石垣石」へ
食堂を出て、目の前の交差点を対角線側の角に渡る。
石垣石と説明板が置かれている。
石垣石と説明板が置かれている。
2「品川台場(第五)石垣石」台場全体像の地図あり
東京都港区港南五丁目
第五台場で使われた石垣石が2つ並べて置いてある。解説板も立てられていて、台場があった位置と現在の地図とを重ねて表示している。この場所はちょうど五角形の角地にあたるらしい。
「品川99東京入国管理局前バス停」へ
説明板を右に見て通りを直進する。
次の交差点を右折して進む。
信号「東京入管前」を右折して進む。
東京出入国在留管理局の前にバス停がある。
次の交差点を右折して進む。
信号「東京入管前」を右折して進む。
東京出入国在留管理局の前にバス停がある。
バス移動(品川99東京入国管理局前バス停)
バス停「東京入国管理局前」から「品99品川埠頭循環」に乗車する。
3つ目のバス停「品川ふ頭橋」で下車する。
3つ目のバス停「品川ふ頭橋」で下車する。
「品川ふ頭橋」へ
バス進行方向後ろ側に向かって進む。
交差点を右折すると橋に出る。
交差点を右折すると橋に出る。
3「品川ふ頭橋」京浜運河を渡るアーチ橋
東京都品川区東品川五丁目
昭和38(1963)年に品川埠頭と天王洲(東品川)をつなぐ橋として架けられた。青いアーチが二つ並んでいる姿は壮観だ。橋からは東京モノレールの軌道(天王洲方向)や東海道貨物線・新幹線回送線の高架(品川埠頭方向)が見える。タイミングが合えば通過する車両に出会えるかもしれない。
「船着場」へ
品川ふ頭橋を渡りきると右側に船着き場がある。
a東品川二丁目船着場
東京都品川区東品川二丁目
観光クルーズや周遊クルーズなどの船が発着する。クルーズの日程や申し込み方法が掲示されているので、興味があれば利用してみてはいかが。
「天王洲アイル第一水辺広場」へ
船着き場の角を右折し、運河沿いの遊歩道を進む。
板張りの遊歩道をさらに直進。(一段上がった所はシーフォートスクエアーの広場)
角地まで来ると周辺が広場になっている。
板張りの遊歩道をさらに直進。(一段上がった所はシーフォートスクエアーの広場)
角地まで来ると周辺が広場になっている。
4「天王洲アイル第一水辺広場」台場の広場
東京都品川区東品川二丁目
広場には椅子もあり、運河を眺めながら休憩できる。この場所は品川第四台場の角地と重なっていたのだが、ここには説明板などは設置されていない。
「第四台場説明板」へ
第一水辺広場から運河沿いに左に進む。
遊歩道が坂になり、大通りに合流する手前左側の植え込みの中に説明板がある。
遊歩道が坂になり、大通りに合流する手前左側の植え込みの中に説明板がある。
b第四台場説明板
東京都品川区東品川二丁目
見落として通り過ぎてしまいそうな場所にある説明板だ。幕末に造られた台場のこと、第四台場が未完成だったことなどが書かれているが、文字の色が褪せてしまい非常に読みにくい。第四台場のエリアが図で黄色く示されている。
「東京モノレール接近ポイント」へ
遊歩道と大通りの合流点から右方向の「天王洲大橋」にかけて、東京モノレールの軌道と下の道路との距離がとても近くなっている。迫力あるモノレールの走行写真が撮影できる。
c東京モノレール接近ポイント
東京都品川区東品川二丁目
遊歩道と大通りの合流点から右方向の「天王洲大橋」にかけて、東京モノレールの軌道と下の道路との距離がとても近くなっている。迫力あるモノレールの走行写真が撮影できる。
「品川台場(第四)護岸遺構」へ
大通りに出たところから右方向に進む。
すぐ先の「天王洲大橋」にかかる辺りから護岸を見ると、石垣の遺構が見える。
すぐ先の「天王洲大橋」にかかる辺りから護岸を見ると、石垣の遺構が見える。
5「品川台場(第四)護岸遺構」残された石垣石
東京都品川区東品川二丁目
第四台場は他の台場と同時期につくられていたが、未完成のまま工事終了している。石垣等はそのまま放置されたため「崩れ台場」とよばれていたという。その後、明治16(1883)年に緒明(おあき)菊三郎が台場跡を明治政府から借り上げ(その後払い下げ)整備し、造船所を開設している。大正14(1925)年からは埋め立て工事が始まり、昭和14(1939)年には完全に埋め立て地になった。現在、石垣の一部をここから見ることができる。
「天王洲アイル駅付近」へ
来た道を戻り、直進する。
先ほどの合流点を過ぎた先、右側の横断歩道で大通りを渡る。
渡ったら右に進み、歩道ではなく敷地内の遊歩道を直進する。
先ほどの合流点を過ぎた先、右側の横断歩道で大通りを渡る。
渡ったら右に進み、歩道ではなく敷地内の遊歩道を直進する。
「天王洲アイル第2水辺広場」へ
天王洲運河に出たら左に進み、板張りの遊歩道を直進する。
桟橋やベンチなどがある広場に出る。
桟橋やベンチなどがある広場に出る。
6「天王洲アイル第2水辺広場」天王洲ピア桟橋とキャナルガーデン
東京都品川区東品川二丁目
天王洲運河に沿った板張り遊歩道(ボードウォーク)に設けられた広場。小型船舶が接岸できる桟橋と、飲食店に面したガーデンがある。ベンチやテーブルも設置されていて景色を楽しみながら休憩できる。
「T.Y.HARBOR」へ
板張り遊歩道をさらに直進する。
突き当りの「天王洲ふれあい橋」前を左に曲がる。
すぐ先に飲食店への入り口ゲートがある。
突き当りの「天王洲ふれあい橋」前を左に曲がる。
すぐ先に飲食店への入り口ゲートがある。
dT.Y.HARBOR
東京都品川区東品川二丁目
醸造所を併設したブリュワリーレストラン。埋立地の倉庫だった場所に、平成9(1997)年に開業した。クラフトビールと料理が楽しめる。ランチ11:30~15:00(土日祝16:00)、ディナー17:30~22:00。ビールとおつまみだけのビアバーは11:30~22:00。
「SLOW HAUSE」へ
T.Y.HARBORを出て右に進む。
少し先右側の路地に入り進む。
右側に家具と雑貨の店がある。
少し先右側の路地に入り進む。
右側に家具と雑貨の店がある。
eSLOW HAUSE
東京都品川区東品川二丁目
北欧の家具や雑貨を中心に、インテリアに関する商品を幅広く取り揃えている。洗練された展示は見るだけでも楽しい。水曜定休(祝日は営業)11:00~19:00
「天王洲アイル第3水辺広場」へ
SLOW HAUSEを出て右に進む。
運河沿いの板張り遊歩道に出る。
運河沿いの板張り遊歩道に出る。
7「天王洲アイル第3水辺広場」寺田倉庫が運営するアートなエリア
東京都品川区東品川二丁目
板張り遊歩道周辺には、B&C,HALL(イベントホール)やT―Lotus.M(隈研吾デザイン船上多目的ラウンジ)などがある。また、カラフルな4つの水上コテージはPETALS TOKYOという宿泊施設(2名貸し切り、食事別途注文)だ。
「WHAT CAFE」へ
第3水辺広場に出たところから左方向に進む。
すぐ先、左にあるビルの1階にCAFÉの入り口がある。
すぐ先、左にあるビルの1階にCAFÉの入り口がある。
fWHAT CAFE
東京都品川区東品川二丁目
現代アート作品を展示販売するギャラリーとカフェが融合した施設。アートを見ながら食事やお茶が楽しめる。広々とした店内で休憩するのも良い。営業時間11:00~18:00。作品の入れ替えや、貸し切りイベントの場合は休館。
「東品川2丁目6付近」へ
WHAT CAFÉを通り抜け、反対側の出入り口に向かう。
通りに出たら右に進む。
大通りに出たら、すぐ左にある横断歩道を渡る。
通りに出たら右に進む。
大通りに出たら、すぐ左にある横断歩道を渡る。
「新東海橋」へ
渡ったら右に進み、その先にある橋を渡る。
8「新東海橋」橋名の謎
東京都品川区東品川二丁目
昭和14年(1939)年に埋め立てが完了した天王洲には、ここに橋が一つだけ架けられた。その橋名は「東海橋」。ただ、第一京浜が目黒川を渡るところにも元々「東海橋」という橋が存在したので、同じ名前の橋が2つあったことになる。命名のいきさつについてはよくわからない。昭和30(1955)年頃、天王洲の「東海橋」はコンクリートの新しいものに架け替えられ、「新東海橋」と命名された。「東海橋」が2つある状況は解消されたというわけだ。
「新東海橋交差点」へ
橋を渡って交差点「新東海橋」に出たら、対角線側の角に渡る。
渡ったら左に進み、すぐ先の右斜め前方の横道に入る。
渡ったら左に進み、すぐ先の右斜め前方の横道に入る。
「正和稲荷神社」へ
突き当りを右に進む。
しばらく直進し、横断歩道を越えた先を左に入る。
路地を直進すると、右側に赤い鳥居があるので中に入る。
しばらく直進し、横断歩道を越えた先を左に入る。
路地を直進すると、右側に赤い鳥居があるので中に入る。
9「正和稲荷神社」小さいながらも歴史を感じさせる稲荷
東京都品川区東品川一丁目
創建や由緒については不明であり、現在は近くにある利田神社の境外末社として奉られている。参道には一の鳥居・二の鳥居、社の前にも2つの鳥居がたてられており、格式の高い神社と思われる。境内の管理等は地元町内会(東品川一・三町会)が続けているという。2月の初午祭りなど、町内会の世話人によって祭事もおこなわれているそうだ。
「御殿山下台場跡」へ
神社の右側を通り抜けるようにして境内から出る。
細い通路に出たら左に進む。
通路を抜けると、右側に品川区立台場小学校があり、正門右に石垣石と灯台が置かれている。
細い通路に出たら左に進む。
通路を抜けると、右側に品川区立台場小学校があり、正門右に石垣石と灯台が置かれている。
10「御殿山下台場跡」跡地は小学校に
東京都品川区東品川一丁目
御殿山下台場は海上ではなく、陸続きの場所に造られた台場だ。第五・第六台場とほぼ同時期の安政元(1854)年12月に完成している。(1854年は11月に嘉永7年から安政元年に元号が変わった。)台場小学校を含む大きな五角形の土地が御殿山下台場だった跡地だ。大正末までは海に突き出した形を残していたが、昭和の初めには周囲の埋め立てが始まりその姿は消滅した。台場小学校の正門前には御殿山下台場の石垣石と、第二台場(第五台場の隣にあったが撤去され海中に没した)に設置されていた灯台のレプリカが置かれている。
「利田神社・鯨塚」へ
小学校正門で振り返り、前方に歩道橋の見える道を直進する。
大通りに出る手前、右にある横道に入ると奥に鳥居がある。
大通りに出る手前、右にある横道に入ると奥に鳥居がある。
11「利田(かがた)神社・鯨塚」神社名は名主の利田氏から
東京都品川区東品川一丁目
利田神社は寛永3(1626)年に沢庵和尚が弁財天を祀ったのが起こり。当初は「洲崎弁天」とよばれていた。明治の神仏分離によって弁財天に相当する日本古来の神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)に祭神が変更され、利田神社と称するようになった。本殿の左後方に鯨塚がある。これは寛政10(1798)年に品川沖で捕獲された鯨を埋めた塚だ。この鯨は江戸で評判になり、11代将軍家斉も浜御殿まで曳かせて見物したという。
「東品川1丁目7付近の路地」へ
本殿の左後方にある鯨塚の前を過ぎ、町内会事務所の脇を抜けて進む。
細い路地に出たら右に進む。
突き当りを左折して直進する。
細い路地に出たら右に進む。
突き当りを左折して直進する。
「品川浦船溜り」へ
左側3本目の路地に入る。
カギ型に曲がりながら狭い路地を進み、小階段を上がって表通りに出る。
表通りを左に進むと橋の両側が船溜りになっている。
カギ型に曲がりながら狭い路地を進み、小階段を上がって表通りに出る。
表通りを左に進むと橋の両側が船溜りになっている。
12「北品川橋と品川浦船溜り」懐かしさを感じる水辺の風景
東京都品川区東品川一丁目
北品川橋は大正14(1925)年に竣工した石造りの橋だ。この橋の両側に船溜りがある。かつて漁村だったこの辺りは、漁師たちの舟が数多く出入りしていた。現在は釣り船や屋形船が数多く係留され、周囲には釣り宿や屋形船クルーズの営業所が並んでいる。
「土蔵相模」へ
北品川橋を渡って通りに出たら右に進む。
すぐ先の横断歩道で表通りを渡り、そのまま細い路地を直進する。
表通り(旧東海道)に出たら右に進む。
右側に1階がコンビニのマンション「NICハイム北品川」があり、その前に説明板がある。
すぐ先の横断歩道で表通りを渡り、そのまま細い路地を直進する。
表通り(旧東海道)に出たら右に進む。
右側に1階がコンビニのマンション「NICハイム北品川」があり、その前に説明板がある。
13「土蔵相模跡」幕末動乱の一幕
東京都品川区北品川一丁目
かつて東海道品川宿のこの場所に「相模屋」という妓楼があり、外観がなまこ塀の土蔵造りだったので「土蔵相模」とよばれていた。ここは幕末に長州藩志士たちの隠れ家だったことでも知られている。品川御殿山に建設中の英国公使館を焼き討ちするために、高杉晋作・日下玄端・井上馨・伊藤俊輔らがここに集結した話は有名だ。
「京急北品川駅」へ
説明板を過ぎたすぐ先、左側にある横道(清水横町)に入る。
京急の踏切を渡り、大通りを右に進むと駅の入口がある。
京急の踏切を渡り、大通りを右に進むと駅の入口がある。
14京急「北品川駅」
東京都品川区北品川一丁目