新宿区 「戸山・早稲田」 早稲田大学とその周辺を巡る
寄り道散歩 (2023/07/27 09:04)
学生の街として知られる早稲田周辺だが、大名屋敷跡や寺社など見どころも多い。今回は大名庭園跡などの旧跡を巡った後、早稲田大学内の博物館等を見学する短いコース設定になっている。
0東京メトロ副都心線「西早稲田駅」下車
東京都新宿区戸山三丁目
早大理工方面改札を出る。左に回り込み、地上ゆきエレベーターに乗る。
寄り道散歩 (2023/07/27 08:52)
道案内 「箱根山」へ
「箱根山」へ
地上に出たら左に進む。
二つ目の信号(新宿コズミックセンター前)を左折する。
緩やかな下り坂を進む。この周辺は江戸時代に尾張徳川家の広大な下屋敷があった場所だ。
左側にある広場の入り口横に「この辺り尾張徳川家戸山荘古駅楼跡」の標柱が立っている。
標柱前の横断歩道を渡りさらに左に進む。
道が右にカーブすると、戸山公園(箱根山地区)案内図が立っている。
案内板の前から箱根山に入る。
道沿いに坂を上がると、右に「箱根山・陸軍戸山学校跡」の大きな石碑がある。
すぐ先を右折すると、説明板と山頂へ行く階段がある。
二つ目の信号(新宿コズミックセンター前)を左折する。
緩やかな下り坂を進む。この周辺は江戸時代に尾張徳川家の広大な下屋敷があった場所だ。
左側にある広場の入り口横に「この辺り尾張徳川家戸山荘古駅楼跡」の標柱が立っている。
標柱前の横断歩道を渡りさらに左に進む。
道が右にカーブすると、戸山公園(箱根山地区)案内図が立っている。
案内板の前から箱根山に入る。
道沿いに坂を上がると、右に「箱根山・陸軍戸山学校跡」の大きな石碑がある。
すぐ先を右折すると、説明板と山頂へ行く階段がある。
緩やかな下り坂を進む。この周辺は江戸時代に尾張徳川家の広大な下屋敷があった場所だ。
左側にある広場の入り口横に「この辺り尾張徳川家戸山荘古駅楼跡」の標柱が立っている。
道が右にカーブすると、戸山公園(箱根山地区)案内図が立っている。
1「箱根山」庭園時代の名前は玉圓峰(ぎょくえんぽう)
東京都新宿区戸山二丁目
尾張徳川家下屋敷内に整備された回遊式庭園の築山としてつくられた。標高は44.6mあり、山手線内では一番高い場所になっている。明治維新後は陸軍戸山学校が開かれ、広大な敷地は軍の施設に変わった。庭園や池はなくなったが、箱根山は壊されずに残り、現在に至っている。明治天皇が視察に訪れた際には山頂まで登ったと伝わる。
寄り道散歩 (2023/07/27 08:53)
道案内 「穴八幡宮」へ
「穴八幡宮」へ
登ってきた階段を下りる。
来た道を戻るようにして、先ほどの「箱根山・陸軍戸山学校跡」石碑の前に行く。
右側下方に見える円形のモニュメント(旧陸軍戸山学校野外演奏場跡)の横を下る。
道なりに一番下まで下ると車道に出る。(左にトイレあり)
信号のある交差点に出たら左折する。
坂を下り、丁字路で道を渡り右に進む。
少し行くと左に神社の鳥居があるので階段を上って中に入る。(階段横にトイレあり)
来た道を戻るようにして、先ほどの「箱根山・陸軍戸山学校跡」石碑の前に行く。
右側下方に見える円形のモニュメント(旧陸軍戸山学校野外演奏場跡)の横を下る。
道なりに一番下まで下ると車道に出る。(左にトイレあり)
信号のある交差点に出たら左折する。
坂を下り、丁字路で道を渡り右に進む。
少し行くと左に神社の鳥居があるので階段を上って中に入る。(階段横にトイレあり)
右側下方に見える円形のモニュメント(旧陸軍戸山学校野外演奏場跡)の横を下る。
√右側下方に見える円形のモニュメント(旧陸軍戸山学校野外演奏場跡)の横を下る。
信号のある交差点に出たら左折する。
少し行くと左に神社の鳥居があるので階段を上って中に入る。(階段横にトイレあり)
2「穴八幡宮」江戸名所図会では高田八幡宮
東京都新宿区西早稲田二丁目
康平5(1062)年、源義家が八幡神を祀ったのが始まりとされる。寛永18(1641)年に別当の放生寺を建立するため南側の高台を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の阿弥陀如来像が見つかった。以来「穴八幡」と称するようになったという。歴代将軍がたびたび参拝し、庶民の信仰も集めた。冬至から節分までの期間に「一陽来復」のお守りが配られることでも知られている。
寄り道散歩 (2023/07/27 08:54)
道案内 「高田馬場跡と茶屋町通り」へ
「高田馬場跡と茶屋町通り」へ
本殿の右側、神輿倉庫の前を通って進む。
黒い鳥居があり、横には「穴八幡宮御由緒」の大きな説明板がある。
黒鳥居を出て左に進む。
「西早稲田」の信号で大通りを渡り、交差点角にある「八幡鮨」の前に行く。
店の壁に「高田馬場跡」の説明板が付けられている。
八幡鮨を左に見て進み、すぐに左折。裏道に入る。
右側に「茶屋町通り」の標柱が立っている。
すぐ先右側に、先ほどと同じ「高田馬場跡」の説明板がある。
黒い鳥居があり、横には「穴八幡宮御由緒」の大きな説明板がある。
黒鳥居を出て左に進む。
「西早稲田」の信号で大通りを渡り、交差点角にある「八幡鮨」の前に行く。
店の壁に「高田馬場跡」の説明板が付けられている。
八幡鮨を左に見て進み、すぐに左折。裏道に入る。
右側に「茶屋町通り」の標柱が立っている。
すぐ先右側に、先ほどと同じ「高田馬場跡」の説明板がある。
本殿の右側から高田馬場に向かう
穴八幡宮御由緒の説明板
黒い鳥居の下には玄武がいる
八幡寿司のショウウインドウには高田馬場の古地図が
3「高田馬場跡と茶屋町通り」馬場の東西は655m
東京都新宿区西早稲田三丁目
真っすぐ続く「茶屋町通り」の左側一帯が馬場だった。寛永13(1636)年、3代将軍家光の時代に馬術・流鏑馬の訓練のために作られた。訓練の際に弁当や菓子の持参が許されなかったので、近所の農家が茶店を開いたのが茶屋町通りの始まりと言われている。雑司が谷の鬼子母神への参拝客もここを通ったのでとても賑わっていたそうだ。
寄り道散歩 (2023/07/27 08:56)
道案内 「水稲荷神社」へ
「水稲荷神社」へ
茶屋町通りをさらに直進する。
一本目を右に入る。
奥にある水稲荷神社西参道入口から中に入る。
参道を道なりに進むと、神社の鳥居がある。
一本目を右に入る。
奥にある水稲荷神社西参道入口から中に入る。
参道を道なりに進むと、神社の鳥居がある。
4「水稲荷神社」江戸名所図会では高田稲荷
東京都新宿区西早稲田三丁目
現在地に遷座したのは昭和38(1963)年で、以前は早稲田大学9号館の場所にあった。大学の拡張工事に伴い、大学が所有していた土地と交換する形でここに移転してきた。天慶4(941)年に、藤原秀郷が冨塚といわれる塚があった場所に稲荷を勧請したのが始まりと伝わっている。(旧地:大学9号館横には「冨塚跡」の説明板がある)。元禄15(1702)年に境内の御神木の根元から霊水が湧き出し、眼病に効くと評判になったことで水稲荷とよばれるようになった。
寄り道散歩 (2023/07/27 08:57)
道案内 「甘泉園公園」へ
「甘泉園公園」へ
神社の鳥居を出て、左に進む。
参道をしばらく進むと、左側に甘泉園公園入口があるので入る。
公園の斜面を下り、池のほとりに出る。(公園のトイレあり)
参道をしばらく進むと、左側に甘泉園公園入口があるので入る。
公園の斜面を下り、池のほとりに出る。(公園のトイレあり)
甘泉園公園入口
5「甘泉園公園」大名庭園の面影あり
東京都新宿区西早稲田三丁目
徳川御三卿の一つである清水家の下屋敷があった場所である。屋敷内には回遊式庭園が整備され、湧き出る水がお茶に適していたことから「甘泉園」とよばれた。明治時代には相馬子爵家の邸宅となったが、昭和13(1938)年に早稲田大学が購入し、大学の付属施設となっていた。昭和36(1961)年に大学は甘泉園を東京都に売却する。その資金で大学の拡張工事費用と、水稲荷の移転費用を捻出した。甘泉園はその後新宿区に移管され区立公園となっている。
寄り道散歩 (2023/07/27 08:58)
道案内
「會津八一記念博物館」へ
池を回り込むように進んだ先に、出入り口があるので外に出る。
通りに出たら右に進む。
突き当りを左折、大通りに出たら右に進む。
大きな交差点を渡り、そのまま直進する。
前方左側には都電荒川線(東京さくらトラム)の早稲田駅が見えてくる。
右側一本目を右折して進む。
突き当りに「早稲田大学国際会議場・中央図書館」入口の門があるので入る。
通りに出たら右に進む。
突き当りを左折、大通りに出たら右に進む。
大きな交差点を渡り、そのまま直進する。
前方左側には都電荒川線(東京さくらトラム)の早稲田駅が見えてくる。
右側一本目を右折して進む。
突き当りに「早稲田大学国際会議場・中央図書館」入口の門があるので入る。
公園を出たら右に曲がり直進する
都電荒川線(東京さくらトラム)早稲田駅
「早稲田大学国際会議場・中央図書館」入口
早稲田大学国際会議場・中央図書館
敷地内を真っすぐ通り抜ける。
門を出ると、通りの反対側に「早稲田大学北門」があるので入る。
構内をしばらく直進し、突き当りを左折すると大隈重信像の後ろに出る。
大隈像の横を通り過ぎると右側に博物館がある。
門を出ると、通りの反対側に「早稲田大学北門」があるので入る。
構内をしばらく直進し、突き当りを左折すると大隈重信像の後ろに出る。
大隈像の横を通り過ぎると右側に博物館がある。
早稲田大学北門からさらに中に入る
大隈重信像の後ろ側にでる
6「會津八一記念博物館」大正15年建築の歴史的建造物
東京都新宿区西早稲田一丁目
會津八一(1881~1956)は早稲田大学教授であり、東洋美術史研究の第一人者であった。また、歌人・書家としても知られている。博物館では會津八一が収集した資料やコレクションをはじめ、大学が収集した学術資料や寄贈されたコレクションなどを保存展示している。この建物は旧図書館・2号館として使われていたが、新図書館の完成後に改修工事を経て1998年に博物館となった。入場無料、水曜日定休。トイレ利用可。
寄り道散歩 (2023/07/27 09:00)
道案内 「新3号館・政治経済学部・D棟」へ
「新3号館・政治経済学部・D棟」へ
博物館を出て、向かい側正面の建物に入る。
7「新3号館・政治経済学部・D棟」最新のビルの中に旧校舎を保存
東京都新宿区西早稲田一丁目
昭和8(1933)年に竣工した旧3号館の南側半分を復元する形で、平成26(2014)年に建てられた。中に入ると、かつての中庭部分の雰囲気そのままの外観を見ることができる。旧校舎の屋根瓦は一枚一枚外して洗浄し、耐震補強を施した校舎に戻されたとのこと。教室番号などの表示に使われている字体も建築当時のものにしたそうだ。
寄り道散歩 (2023/07/27 09:00)
道案内 「早稲田大学歴史館」へ
「早稲田大学歴史館」へ
新3号館を出て左に進む。
正門手前、左側にある1号館の中に大学の歴史館がある。
正門手前、左側にある1号館の中に大学の歴史館がある。
8「早稲田大学歴史館」見学の後はカフェで一休み
東京都新宿区西早稲田一丁目
平成30(2018)年に開館したミュージアムだ。大学の歴史に関する資料や情報を展示解説している。常設展示が3エリア、企画展示ルーム、シアタールームなどがある。また、早稲田グッズを販売するミュージアムショップやカフェが併設されているのもうれしい。
入場無料。水曜日定休。トイレ利用可。
入場無料。水曜日定休。トイレ利用可。
寄り道散歩 (2023/07/27 09:01)
道案内 「大隈庭園」へ
「大隈庭園」へ
歴史館を出て、大学正門へ向かう。
正門を出て道路を渡り左に進むと大隈會館の門がある。門の左側にある門衛所は明治35(1905)年に建てられた歴史のあるものだ。
門を入ると、左にはカフェ:UNI.SHOP&CAFE125がある。
右側に大隈庭園入り口があるので入る。
正門を出て道路を渡り左に進むと大隈會館の門がある。門の左側にある門衛所は明治35(1905)年に建てられた歴史のあるものだ。
門を入ると、左にはカフェ:UNI.SHOP&CAFE125がある。
右側に大隈庭園入り口があるので入る。
9「大隈庭園」広大な芝生と池、灯籠や彫像などが置かれた散策路
東京都新宿区戸塚町一丁目
江戸時代、彦根藩井伊家や高松藩松平家の下屋敷があった場所だ。明治7(1874)年に大隈重信の別邸・庭園となり、大隈の没後に早稲田大学に寄贈された。庭園奥には大隈綾子(大隈重信夫人)像、田中穂積(早稲田大学第4代総長)像がある。隣接するリーガロイヤルホテル東京には直接出入りすることができる。開園は9:00から、4月~9月17:00まで、10月~2月16:30まで。日曜・祝祭日および大学休講期間(夏休み等)は閉園。荒天時も閉園することがある。
寄り道散歩 (2023/07/27 09:02)
道案内 東京メトロ東西線「早稲田駅」へ
東京メトロ東西線「早稲田駅」へ
入ってきた門を出て、大学正門前まで戻る。
正門を右に見て直進する。
しばらく進むと、右側に大学南門がある。
南門の向かい側には、「Pizzeria TAKATA BOKUSYA」(明治38年、ミルクホールとして創業した高田牧舎)がある。
Pizzeria手前の横道を入り、直進する。
大通りに突き当たったら右折する。
しばらく進むと、交差点(地下鉄早稲田駅前)に出る。
交差点手前右側に
東京メトロ東西線「早稲田駅」への入り口が見える。
正門を右に見て直進する。
しばらく進むと、右側に大学南門がある。
南門の向かい側には、「Pizzeria TAKATA BOKUSYA」(明治38年、ミルクホールとして創業した高田牧舎)がある。
Pizzeria手前の横道を入り、直進する。
大通りに突き当たったら右折する。
しばらく進むと、交差点(地下鉄早稲田駅前)に出る。
交差点手前右側に
東京メトロ東西線「早稲田駅」への入り口が見える。
10東京メトロ東西線「早稲田駅3a出入り口」
東京都新宿区馬場下町
寄り道散歩 (2023/07/27 09:03)