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新宿区 「河田町・東新宿」牛込の凸凹を楽しむ散歩道

2024-11-14
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新宿区 「河田町・東新宿」牛込の凸凹を楽しむ散歩道

寄り道散歩 (2024/11/14 00:06)
街歩きファンが愛してやまない窪地・谷・崖。この3つを一度に味わえる今回の散歩道。土地の歴史にふれながら歩けば、坂道や階段もなんのその。体力もアップすること間違いなし。

0都営大江戸線「牛込柳町駅」
改札を出て階段を上がり東出口へ向かう。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:29)
道案内 「経王寺」へ
「市谷柳町交差点」へ
出口を左に進む。
大通りに出たら左に進む。
すぐ先の信号「市谷柳町」で右の横断歩道を渡る。(サイゼリア側)

出たら左に進む
目の前に大通りが見えてくるので左に曲がる
左に曲がったら「市谷柳町」の交差点まで進む
交差点で通りの反対側に渡って右に進む
「経王寺」へ
渡ったら右に進み、坂道を上がる。
坂の途中に寺がある。
渡ったら右に曲がって進む
しばらく進むと紅い幟が見えてくる
1「経王寺」赤い幟(のぼり)が目印
新宿山之手七福神のひとつである大黒天を祀っている日蓮宗の寺だ。この大黒天は何度も火災に遭いながらも焼け残ってきたので、「開運・火伏せ大黒」として信仰されてきた。年6回ある甲子(きのえね)の日に行われる甲子祭で御開帳される。新宿区指定文化財にもなっている。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:38)
道案内 「瑞光寺横の抜け道階段」へ 見どころポイント有り
「AMBOISE(アンボワーズ)」へ
坂道をさらに進み、左側のななめの道へ入る。
瑞光寺の前を過ぎると、右側に小さなパン屋がある。
階段を降りて左に曲がって進む
坂道を上がっていく
左側にななめの道が見えてくるので入る
通りを進んで行くと右手にパン屋さんが見えてくる
aAMBOISE(アンボワーズ)
テイクアウトのみの小さなパン屋だ。惣菜系からおやつ系までいろいろ選べる。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:40)
「瑞光寺横の抜け道階段」へ
パン屋の正面に、細い路地へ入る道があるので進む。
左折・右折を繰り返しながら狭い通路を進むと階段がある。
パン屋さんの真正面の路地を入っていく
参道を進んで行く
突き当たりを左に曲がった先に階段がある
2「瑞光寺横の抜け道階段」谷地の高低差を実感
この前方が加仁川の谷筋に続く市谷柳町の低地である。江戸時代この付近はいくつもの寺が集まっていた。現在も寺が多い地域である。この道の先一帯は明治43(1910)年まで光徳院という真言宗の大きな寺があった。光徳院は現在中野区上高田に移転している。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:41)
道案内 「浄栄寺」へ
「浄栄寺」へ
階段を下ったところにある小さな冠木門を出ると、先の方に階段が見えるので直進する。
その階段の右側をカーブするように進む。
レトロな鉄製の手すりがある階段に出るので、そこを上がる。
上がったら左折する。すぐ右側にお寺の門がある。
先の方に見える階段を目指して進む
階段の右側の道を進む
直進すると前方に階段が見えてくるので上る
上ったら左に曲がるとすぐ右斜め前に浄栄寺の門が見える
3「浄栄寺」江戸の文人サロンでもあった
浄栄寺は市谷田町に創建され、寛永11(1634)年に現在地に移転してきた浄土真宗の寺だ。山門(甘露門)は江戸後期のものと推定されている。江戸時代の文人である太田南畝(蜀山人)は、この寺で度々会合を開いていたという。狂歌の会などが催されていたのだろうか。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:44)
道案内 「フジテレビ本社跡」へ 見どころポイント有り
「薬王寺観世音菩薩の祠」へ
さらに直進すると、大通りに出る。
大通りを右折して進む。
二本目(市谷仲之町の信号)を右折する。 (道の反対側に公衆トイレあり)
右側に薬王寺観世音菩薩の幟が立つ小さな祠がある。
門をでたら直進すると大通りが見えてくる
大通りで右に曲がる
曲がって直進すると市谷仲之町の信号が見えてくるので交差点で右に曲がる
曲がったら直進すると右側に祠がある
b薬王寺観世音菩薩の祠
かつてこの祠の北側、少し離れた場所に薬王寺があった。寺は明治初年に廃寺となり建物等は残っていない。ただ、「市谷薬王寺町」という町名だけが昔のまま残ることになった。この観世音菩薩の祠は薬王寺と何らかの関係があるのかもしれないが由来等は不明である。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:47)
「フジテレビ本社跡」へ
先に進み、牛込仲之小学校前を過ぎる。
次の信号で左折する。
右側に高層マンションがある。
祠をすぎて直進する
左前方に高い建物が見えてくる
信号を渡って直進する
4「フジテレビ本社跡」痕跡を残さずお台場へ移転
昭和34(1959)年の開局から平成9(1997)年までここに本社とスタジオがあった。跡地は「河田町ガーデン」という高層マンション群になっている。残念なことに、マンション敷地内にはフジテレビに関する説明板等は何も置かれていない。テレビの歴史を語るうえでも、何らかの表示があっても良いのではないかと思う。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:49)
道案内 「念仏坂」へ
「念仏坂」へ
さらに直進して進むと下りの階段がある。
「フジテレビ本社跡」痕を通り過ぎ直進する
進んで行くと前方に下り階段が見えてくる
5「念仏坂」ジク谷への降り口
途中でカーブしている階段坂道だ。けっこう急な階段なので、昔は念仏を唱えたくなるほど危険な坂だったのかもしれない。ここを下った先が、「ジク谷」とよばれていた谷である。靖国通りに沿って流れていた紅葉川に注ぐ支流があり、ジクジクとした湿地帯だったらしい。現在その谷筋は「あけぼのばし通り」になっている。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:52)
道案内 「金辯財天」へ 見どころポイント有り
「フジテレビ道標」へ
念仏坂を下りて、「あけぼのばし通り」に出る。
丁字路の角に赤い文字が刻まれた標柱が立っている。
坂を下りたら直進する、左側の角に標柱がある
cフジテレビ道標。
靖国通り方面から旧フジテレビへ行くときの道案内の標柱が残されている。河田町にフジテレビがあったことを示すたった一つの痕跡である。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:54)
「金辯財天」へ
右に曲がり、あけぼのばし通りを直進する。
「かわだ児童遊園」を過ぎ、日生薬局の先を右に入る。
直進すると階段があり、その左側に小さな神社がある。
右に曲がって直進する
右側にある日生薬局が目印
日生薬局の少し先の路地を右に入る
路地の先にある階段の左側に金辯財天がある
6「金辯財天(こんべんざいてん)」お参りすると金運を呼ぶ
江戸時代この地にあった松平伯耆守(ほうきのかみ)の屋敷内に祀られていた社である。明治36(1903)年に東京女医学校がここに移転してきたときも残っていて、昭和の終戦後に現在地(東京女子医大が提供した土地)に移された。狛犬ではなく「狛巳(こまへび)」が置かれており、よく見ると左右でとぐろの巻き方が違う。金運のほかに、医大との縁で病気平癒にもご利益があるそうだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:57)
道案内 「出世稲荷神社」へ
「河田町の路地」へ
来た道を少し引き返し、一本目を右に入る。片側コンクリート壁の道を直進する。
突き当りを左折、すぐ右折して進む。

「金辯財天(こんべんざいてん)」の手前の路地に入る
突き当たりを左に曲がる
曲がってすぐの横道に入る
入ったら直進する
「出世稲荷神社」へ
突き当りを右折する。
すぐ先左側に「余丁東児童遊園」に入る階段があるので上がる。(公園内トイレあり)
公園を回り込むように進むと奥に神社がある。
突き当たりで右折する
右折すると左方向上に公園が見えてくる
階段を上がって公園に入る
階段を上って右に進むと奥に神社が見える
7「出世稲荷神社」当地に鎮座して500年
長禄元(1457)年、太田道灌によって江戸城内に勧請され、大永6(1526)年に現在地に遷座された。江戸城内に勧請されたきっかけが道灌の家臣・粟津民部豊重の夢に稲荷神が現れたことだったので、江戸時代は粟津稲荷大明神とよばれていた。出世稲荷と称するのは明治になってからだが、その理由は不明だ。戦災で社殿等が焼失したが、昭和45(1970)年に境内の半分を公園用地として新宿区に売却、その資金で2年後に現社殿を新築した。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:59)
道案内 「小笠原伯爵邸」へ
「小笠原伯爵邸」へ
社殿左側の通路から神社の外に出る。
すぐ先に見える大通りを右に進む。
信号まで直進し、右に曲がる。
少し先に交番(河田町交番)があり、その裏手に洋館が見える。
神社の横を通り外に出る
外に出て右に見える大通りの方に進む
大通りを右に曲がり信号まで直進する
信号で右に曲がると右前方に交番が見えてくる
8「小笠原伯爵邸」レトロ建築のレストラン&カフェ
豊前小倉藩小笠原家の下屋敷があった場所に、小笠原家の当主・小笠原長幹(ながよし)伯爵が昭和2(1927)年に建てた邸宅だ。スパニッシュ様式の洋館で、噴水のある中庭(パティオ)がある。戦後米軍に接収されたが昭和27(1952)年に返還され、その後は東京都が買い取り管理をしている。現在は建物の維持管理を条件に公募によって一般に貸し出され、スペイン料理レストランになっている。カフェ利用ならば予約なしでも入れ、内部を見ることも可能だ。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:01)
道案内 「大久保の犬御用屋敷跡説明板」へ 見どころポイント有り
「民芸品店備後屋」へ
河田町交番の横まで戻る。
大江戸線「若松河田駅」入り口前の信号で道を渡る。
渡って右に進むと、民芸品店がある。
門を出て右前方に見える交差点を反対側に渡る
信号を渡って通りの反対側に、渡ったら右に曲がる
右に曲がったら少し進むと左側にお店が見えてくる
d民芸品店備後屋
陶器・手ぬぐい・和紙製品などの民芸品や雑貨を扱うお店だ。品数が豊富で、魅力的な商品が多い。月曜定休・第3土曜とその翌日休業。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:03)
「大久保の犬御用屋敷跡説明板」へ
元の道を戻り、信号を過ぎて直進する。
少し進むと右側に若松地域センターがある。(トイレ利用可能)
センター敷地の角に説明板が立っている。
元の道に戻って進む
しばらく進むと右手に地域センターが見えてくる
地域センターの前を進む
右に入る角に説明板がある
9大久保の犬御用屋敷跡説明板
徳川綱吉の発した生類憐みの令により、飼い主のいない犬を収容する犬屋敷がこの辺りにつくられていた。犬屋敷といえば中野が有名だが、大久保の犬屋敷もかなりの大きさだったという。四谷にも犬屋敷があったが、場所は四谷というよりは現在の千駄ヶ谷辺りだったそうだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:04)
道案内 「厳島神社・抜弁天」へ
「厳島神社・抜弁天」へ
さらに直進し、緩やかな坂道(団子坂)を上がる。
「抜弁天」の信号まで来ると、道の反対側に神社の鳥居が見える。
道を渡り、鳥居から神社に入る。
直進して団子坂を上がっていく
上がりきった先に抜弁天の信号がある
反対側に鳥居が見える
道を渡ったら左に曲がる
10「厳嶋(いつくしま)神社・抜弁天(ぬけべんてん)」運気が上がるパワースポット
源義家が奥州平定に向かう際、この地で遥か西の厳島神社に向かって戦勝祈願をおこない、勝利の御礼として帰途に神社を勧請したのが始まりと伝わる。義家が苦しい戦いを切り抜けたことから苦境を抜け出したい人々の信仰を集め、また、境内が通り抜けられることからも「抜弁天」とよばれるようになった。「弁天」とよばれるわけは、厳島神社の主祭神・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が、神仏習合の時代は仏教の弁財天と同一とされていたからである。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:06)
道案内 「久左衛門坂」へ
「久左衛門坂」へ
入ってきた鳥居と反対側(南側)の鳥居を出たら右に進む。
「抜弁天」交差点に戻り、先ほどと同じ横断歩道で道を渡る。
渡ったら左に進み、そのまま直進する。次第に下り坂になってくる。
右側の分かれ道のようになっている坂道の方を進む
反対側の鳥居から外にでて右に曲がって信号まで戻る
信号を渡って左に
下り坂を進む
しばらく進むと右斜めに入る道が見えてくる
11「久左衛門坂」蟹川が削った低地へ下りる
この辺りの名主であった島田家の草創・久左衛門が開いた坂道なのでこの名が付いた。かつて坂の下には蟹川が流れていた。新宿歌舞伎町の北側を源流とするこの川は、戸山から早稲田にかけて広範囲に土地を侵食し、大きな窪地を形成した。大久保という地名も「大きな窪」があったからだといわれている。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:08)
道案内 「大聖院」へ 見どころポイント有り
「抜弁天通り下のトンネル」へ
左側一本目の横道を曲がる。
トンネルを抜け、信号を越えて直進する。

久左衛門坂を下って行く
最初に見えてくる左に入る横道に進む
前方に見えるトンネルを抜けて先に進む
トンネルを抜けた先の信号をさらに進む
「紅皿の墓」へ
しばらく進むと、左側に石階段(不動坂)がある。
石階段は上がらずに、坂道の方を上がり駐車場に入る。
左側に階段を駐車場に続く坂道が見えてくる
駐車場へ続く坂道を上がる
上がったら右に曲がり更に奥に進む
駐車場の右手方向に「紅皿の墓」がある
e紅皿の墓
駐車場の入り口近くに紅皿の墓と伝わる板碑がある。太田道灌に山吹の枝を差し出したという逸話に登場する娘だ。紅皿は晩年この近くに庵を結んで暮らしたという。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:12)
「大聖院」へ
元の道を戻り、先ほどの石階段の所まで下りる。
石階段(不動坂)を上がると、寺と神社が一続きの敷地に入る。
元の道を戻る
坂を下って入り口左側の階段を上る
階段を上がる
階段を上がると左側に大聖院が見えてくる
12「大聖院」不動明王を本尊とする修験道の寺
大聖院は天台寺門宗の寺で、隣の西向天神社の別当寺であった。年代は不詳だが、もともと春日部にあったものが移ってきたと伝わる。この寺は修験道とのかかわりが強く、そのため一般的な寺とは少し違う雰囲気がある。所有している大聖院文書は新宿区の登録有形文化財に指定されている。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:13)
道案内 「西向天神社」へ 見どころポイント有り
「新宿の女 歌碑」へ
大聖院の建物の前を過ぎ、さらに奥に進む。
左側に石碑がある。
さらに奥に進む遊具を超えた先の左奥に石碑がある
西向天神社との間にある、気をつけてないと通り過ぎてしまう
f新宿の女 歌碑
「新宿の女」は昭和44(1969)年に発売された藤圭子のデビュー曲。この曲を作詞作曲した「石坂まさを」の創作活動30周年を記念して平成11年に建てられたものだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:15)
「西向天神社」へ
さらに奥に進むと神社がある。
歌碑の少し先に神社がある
13「西向(にしむき)天神社」鎮守の森にひっそりと建つ
栂尾明恵上人(とがのおみょうえしょうにん)によって、京都の北野天満宮から安貞2(1228)年に勧請された。京都の方角を向くように西向きに建てられたという。東大久保村の鎮守として地元の人々に信仰されてきた。古社にふさわしく周囲は樹木に囲まれていて静かだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:17)
道案内 「富士塚(東大久保富士)」へ
「富士塚(東大久保富士)」へ
神社の本殿を過ぎ、さらに奥に進む。
小さな階段を上がると、その先は広場になっている。
広場の一番奥、フェンスの外側に富士塚がある。
さらに進むと前方に階段が見えるので上がる
階段を上がって右奥に進む
14富士塚(東大久保富士)
天保13(1842)年の築造と伝わる。江戸切絵図にも西向天神の隣に「不二」として描かれているので、当時から有名な富士塚だったと思われる。西向天神の境内から見ると小さな塚にしか見えないが、下から見上げるとかなりの大きさだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:20)
道案内 「東新宿駅」へ 見どころポイント有り
「富士塚の裏」へ
富士塚(東大久保富士)の左側に進み建物とトイレの間を抜けて右側にある階段を下りる。
階段の途中で富士塚(東大久保富士)を裏側から見上げることができる。
富士塚の左側に進む
正面の道を右に進む
長い階段を下りる
g富士塚(東大久保富士)裏
富士塚(東大久保富士)を下から見上げることができる。
かなりの高さがあることがわかる。
寄り道散歩 (2024/11/29 09:48)
「西向天神社入り口」へ
階段を下りる。
通りにでたら右に曲がり進む。
西向天神社入り口前で左に曲がり前方へ道を進む。
通りに出たら右に曲がる
直進すると右側に西向天神社の鳥居が見えてくる
西向天神社入り口で左に曲がる
曲がったら直進する
「東新宿駅」へ
しばらく直進すると「新宿イーストサイドスクエア」の敷地に入る。
前方右に階段、左にはトンネルがある。トンネルの方へ進む。
池のある広場に出る。周囲には各種飲食店が並んでいる。
さらに進むと、一番奥右側に地下鉄への連絡通路がある。
直進すると前方に右側に階段、左にトンネルが見えてくる
トンネルの先には池のある広場があるので池の右側を奥に進む
左右に飲食店が並んでいる
更に奥に進むと右前方に地下鉄の入り口が見えてくる
15東京メトロ副都心線・都営地下鉄大江戸線「東新宿駅」
A3出入り口
東京メトロ副都心線「東新宿駅」
都営地下鉄大江戸線「東新宿駅」
寄り道散歩 (2024/11/07 14:24)

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寄り道散歩

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狭い路地や不思議な地形が大好きで、時には地図やナビゲーションに頼らず表通りを外れた路地裏で迷子になるのも好きです。
どこに繋がっているのか分からないワクワク感がたまりません。



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