新宿区 「弁天町・市谷柳町」漱石山房記念館と周辺の散歩道
寄り道散歩 (2024/11/14 00:05)
早稲田から弁天町に下る細道は漱石山房へと続き、さらにその先は加仁川によって削られた谷筋が南北に通っている。いまは外苑東通りになっているその谷筋に点在する旧跡を訪ねてみよう。
0東京メトロ東西線「早稲田駅」
東京都新宿区馬場下町
早稲田大学方面改札を出て、2番出口へ向かう。
寄り道散歩 (2024/11/07 12:55)
道案内 道案内「夏目漱石誕生の地」へ
道案内「夏目漱石誕生の地」へ
地上に出たらすぐ右にある横断歩道を渡る。
酒店「KOKURAYA(小倉屋)」の右横に説明板と石碑が見える。
酒店「KOKURAYA(小倉屋)」の右横に説明板と石碑が見える。
出口をでて右側の信号を渡る
渡ったら右に少し進むと左手に石碑がある
1「夏目漱石生誕の地」養子に出された五男坊
東京都新宿区馬場下町
漱石は慶応3(1867)年にここで生まれた。生家である夏目家はこの辺りの名主を務める家柄であり、現在の町名「喜久井町」は夏目家の家紋「井桁に菊」に由来している。漱石は生まれて間もなく養子に出され、夏目家に正式に復籍したのは21歳になってからだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 12:58)
道案内 「新宿区立早稲田小学校」へ
「新宿区立早稲田小学校」へ
酒店「KOKURAYA」の前まで戻り、大通り(早稲田通り)を右に進む。
一つ目の信号右のななめに入る道を進む。しばらく直進すると右側に小学校がある。
一つ目の信号右のななめに入る道を進む。しばらく直進すると右側に小学校がある。
信号機の所まで戻る
戻ったら右曲がって直進する
しばらく進むと右ななめに入る坂道が見えてくるので入る
左手に早稲田公園が見えてくるがさらに直進する
2「新宿区立早稲田小学校」レトロな外観
東京都新宿区早稲田南町
開校は明治33(1900)年。現在の校舎は昭和3(1928)年に建てられた。軒先に付けられた洋風瓦やアーチ型の窓など、どこか懐かしさを感じさせるデザインになっている。銀座和光や横浜のホテルニューグランドなどを手がけた建築家・渡辺仁(わたなべじん)の設計である。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:03)
道案内 「漱石山房記念館・漱石公園」へ
「漱石山房記念館・漱石公園」へ
そのまま直進する。しばらく進むと左に記念館がある。
小学校の前の道をさらに直進する
3「漱石山房記念館・漱石公園」漱石終焉の地
東京都新宿区早稲田南町
夏目漱石の旧居跡に建てられた記念館だ。旧居(漱石山房)は昭和20(1945)年の空襲で焼失したが跡地は公園として残され、漱石の生誕150周年にあたる平成29(2017)年に記念館が開館した。展示されている書斎などは、残されていた写真をもとに再現されたものだ。記念館前には「夏目漱石終焉の地」説明板、公園入口には漱石の胸像がある。
入館料300円。月曜休館。漱石公園は入園無料。公園内にもトイレあり。
入館料300円。月曜休館。漱石公園は入園無料。公園内にもトイレあり。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:05)
漱石公園
東京都新宿区早稲田南町
明治40(1907)年から大正5(1961)年まで漱石が住んだ漱石山房が建っていた場所だ。入り口には漱石の胸像が置かれ、公園内には猫塚がある。猫塚は、漱石の没後に遺族が家で飼っていた猫・犬・小鳥の供養のために建てたといわれている。小さな管理棟(道草庵)には漱石の関連資料やパネルの展示がある。
寄り道散歩 (2024/11/13 19:25)
道案内 「加仁川の流路跡」へ
「加仁川の流路跡」へ
公園を出て左に進み、坂道を下る。
道が一番低くなっている場所まで行く。左右に見える細道はかつて川だった。
道が一番低くなっている場所まで行く。左右に見える細道はかつて川だった。
公園を出て左に曲がる
坂道を下って一番低いところがかつての川の名残
4「加仁川(かにかわ)の流路跡」谷筋を形成した川
東京都新宿区早稲田南町
右方向の市谷柳町の窪地から流れ出し、左方向の神田川へと向かう。神田川に流れ込む手前で蟹川本流と合流していた。川跡は全て埋められて暗渠になっている。この谷筋に沿って外苑東通りがあり、左右は高台になっている。江戸時代この周辺は寺町を形成しており、現在も多くの寺が残っている。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:07)
道案内 「宗参寺境内大辯財天」へ
「宗参寺境内大辯財天」へ
流路跡を通り過ぎ、少し坂を上って大通り(外苑東通り)に出る。
大通りを右折して進むと、右側に「大辯財天」の表札がかかった門がある。
大通りを右折して進むと、右側に「大辯財天」の表札がかかった門がある。
そのまま直進する
大通りに出たら右に曲がる
右に曲がったら直進する
少し進んだところの右側に門が見えてくる
5「宗参寺境内大辯財天」ポツンと残った民家風のお堂
東京都新宿区弁天町
この辺りの町名「弁天町」の由来となった弁天様を祀っている。宗参寺は漱石公園のすぐ北側にある大きな寺で、その飛地にこの弁天堂がある。寂れてしまった印象を受けるが、江戸切絵図の「市谷牛込繪圖(えず)」にも「弁才天社」と記載されている由緒あるお堂である。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:14)
道案内 「浄輪寺・関孝和の墓」へ 見どころポイント有り
「草間彌生美術館」へ
お堂の門を出て大通りをさらに進む。
30mほど先の右側に白い近代的なビルがある。
30mほど先の右側に白い近代的なビルがある。
門まで戻って大通りを右に曲がる
右に曲がったらしばらく直進する
a草間彌生美術館
東京都新宿区弁天町
水玉模様で知られる芸術家、草間彌生の作品を展示する美術館だ。ただしチケットは日時指定の完全予約制で、ウェブサイトでのみ販売になっている。今回は外観だけを見て先に進む。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:17)
「浄輪寺入り口」へ
大通りをさらに直進する。
一つ目の信号で道の反対側に渡る。
渡ったら左に進む(戻る方向)。
一つ目の信号で道の反対側に渡る。
渡ったら左に進む(戻る方向)。
美術館を超えて直進する
前方に見えてきた信号で反対側に渡る
反対側に渡る
「浄輪寺・関孝和の墓」へ
すぐ先右側の「日蓮宗浄輪寺」の表示がある横道を入る。
坂を上がった正面に浄輪寺がある。
坂を上がった正面に浄輪寺がある。
右側に見えてくる横道に入る
横道にはいって坂を上がる
左側の門から浄輪寺に入る
石畳をたどって奥に進む
6「浄輪寺・関孝和の墓」日本史の教科書に載っている人物
東京都新宿区弁天町
浄輪寺は慶長17(1612)年に平河町付近に創建され、牛込門外への移転を経て寛永12(1635)年にここに移ってきた。関孝和は御納戸組頭を務める幕臣だったが数学の才能に優れ、和算という学問を究めた。墓が浄輪寺にあるのは、孝和の生家である内山家の菩提寺がこの寺だったからだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:19)
道案内 「林氏墓地」へ
「弁天町の路地」へ
浄輪寺の門を出たら左に進み路地の奥にむかう。
突き当りを右折し直進する。
突き当りを右折し直進する。
門まで戻る
門の左側の道を進む
突き当たりで右に曲がる
右に曲がって進む
「林氏墓地」へ
突き当りを左折、すぐに右折して進む。
突き当りを左折した少し先右側に墓所がある。
突き当りを左折した少し先右側に墓所がある。
突き当たりを左に曲がる
左折した先の突き当たりでさらに右に曲がる
右に曲がって突き当たりで左折する
左折したら直進する
7「林氏墓地」林氏は去ったが墓地は残された
東京都新宿区市谷山伏町
朱子学者である林羅山(はやしらざん)は徳川家康のブレーンとして仕えた。それ以来、林家は代々幕府の学問における責任者としての立場を築いてきた。江戸時代ここに拝領屋敷があり、林家の墓もその敷地内にあった。現在は新宿区が管理をしており、国指定史跡になっている。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:22)
道案内 「試衛館跡」へ 見どころポイント有り
「新井家住宅主屋」へ
墓地の前をさらに直進する。
最初の十字路を右折して進むと、左側に新井家住宅主屋(古い洋館)がある。
最初の十字路を右折して進むと、左側に新井家住宅主屋(古い洋館)がある。
さらに直進する
十字路で右折する
右折してすすむと左前方に古い洋館が見えてくる
b新井家住宅主屋
東京都新宿区北山伏町
戦前に建てられた木造2階建ての住宅。外壁にスクラッチタイルを貼り、当時としてはモダンな建物であった。現在は登録有形文化財に指定されているが、詳しいことは不明だ。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:23)
「焼餅坂」へ
さらに直進する。
信号「市谷小学校前」で大通りを渡ったら右に進む。
信号「市谷小学校前」で大通りを渡ったら右に進む。
直進すると大通りが見えてくる
信号を渡ったら右に曲がる
曲がったら直進する
「試衛館跡」へ
下り坂の途中「柳町病院」の手前を左に入る。
右側一本目の横道を入ると、奥の神社の横に説明の標柱が立っている。
右側一本目の横道を入ると、奥の神社の横に説明の標柱が立っている。
道の反対側に「焼餅坂」の標識がある
柳町病院の手前を左に曲がる
曲がって少し進む
進むと右側に入る道がありその奥に鳥居が見える
8「試衛館跡」新撰組のメンバーが稽古に通った
東京都新宿区市谷柳町
天然理心流三代宗家の近藤周助が天保10(1839)年に開設した剣術道場跡だ。後に新撰組局長となる宮川勝五郎(近藤勇)はこの道場に稽古に通い、周助の養子となって四代目を継ぎ道場主となる。新撰組の土方歳三や沖田総司も門弟であった。道場のあった場所は正確にはわかっていないが、稲荷神社のすぐ近くにあったとの言い伝えからこの場所に標柱が立てられた。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:26)
道案内 「経王寺」へ
都営大江戸線「牛込柳町駅 南東出入口」へ
神社の前の細道を左に進む。
通りに出たら右折、坂を少し下ると大通り(外苑東通り)に出る。
大通りを右に進むと、都営大江戸線「牛込柳町駅」の南東出入口がある。
通りに出たら右折、坂を少し下ると大通り(外苑東通り)に出る。
大通りを右に進むと、都営大江戸線「牛込柳町駅」の南東出入口がある。
神社のすぐ左にある路地に入る
路地を出たら右に曲がる
路地を出たら大通りまで直進する
大通りで右に曲がって直進すると右に都営大江戸線「牛込柳町駅」の入り口が見えてくる
「経王寺」へ
牛込柳町駅の南東出入口を過ぎ、「市谷柳町」の交差点を左折して進む。
上り道の途中に寺がある。
上り道の途中に寺がある。
駅入り口を過ぎて「市谷柳町」の交差点まで進む
交差点で左に曲がって進む
渡ったら直進する
しばらく進むと紅い幟が見えてくる
9「経王寺」赤い幟(のぼり)が目印
東京都新宿区原町一丁目
新宿山之手七福神のひとつである大黒天を祀っている日蓮宗の寺だ。この大黒天は何度も火災に遭いながらも焼け残ってきたので、「開運・火伏せ大黒」として信仰されてきた。年6回ある甲子(きのえね)の日に行われる甲子祭で御開帳される。新宿区指定文化財にもなっている。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:38)
道案内 都営大江戸線「牛込柳町駅」へ
都営大江戸線「牛込柳町駅」へ
坂道をさらに進み、左側のななめの道へ入る。
入るとすぐ左側に都営大江戸線「牛込柳町駅」西出入口がある。
入るとすぐ左側に都営大江戸線「牛込柳町駅」西出入口がある。
階段を降りて左に曲がって進む
坂道を上がっていく
左側にななめの道が見えてくるので入る
10都営大江戸線「牛込柳町駅」
東京都新宿区原町二丁目
都営大江戸線「牛込柳町駅」
西出入口
西出入口
寄り道散歩 (2024/11/07 13:29)
見どころポイント
cAMBOISE(アンボワーズ)
東京都新宿区原町二丁目
テイクアウトのみの小さなパン屋だ。惣菜系からおやつ系までいろいろ選べる。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:40)