新宿区 「弁天町・河田町・東新宿」牛込の谷筋を巡る散歩道
寄り道散歩 (2024/11/07 12:56)
牛込の台地には、かつて流れていた川によって削られたいくつかの谷がある。谷筋には崖や窪地があり、昔ながらの風景を残しているところが多い。今回は、弁天町から柳町にかけての谷、河田町付近のジク谷、抜弁天から東新宿付近の崖地、を順番に巡る。
0東京メトロ東西線「早稲田駅」
東京都新宿区馬場下町
早稲田大学方面改札を出て、2番出口へ向かう。
寄り道散歩 (2024/11/07 12:55)
道案内 道案内「夏目漱石誕生の地」へ
道案内「夏目漱石誕生の地」へ
地上に出たらすぐ右にある横断歩道を渡る。
酒店「KOKURAYA(小倉屋)」の右横に説明板と石碑が見える。
酒店「KOKURAYA(小倉屋)」の右横に説明板と石碑が見える。
出口をでて右側の信号を渡る
渡ったら右に少し進むと左手に石碑がある
1「夏目漱石生誕の地」養子に出された五男坊
東京都新宿区馬場下町
漱石は慶応3(1867)年にここで生まれた。生家である夏目家はこの辺りの名主を務める家柄であり、現在の町名「喜久井町」は夏目家の家紋「井桁に菊」に由来している。漱石は生まれて間もなく養子に出され、夏目家に正式に復籍したのは21歳になってからだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 12:58)
道案内 「新宿区立早稲田小学校」へ
「新宿区立早稲田小学校」へ
酒店「KOKURAYA」の前まで戻り、大通り(早稲田通り)を右に進む。
一つ目の信号右のななめに入る道を進む。しばらく直進すると右側に小学校がある。
一つ目の信号右のななめに入る道を進む。しばらく直進すると右側に小学校がある。
信号機の所まで戻る
戻ったら右曲がって直進する
しばらく進むと右ななめに入る坂道が見えてくるので入る
左手に早稲田公園が見えてくるがさらに直進する
2「新宿区立早稲田小学校」レトロな外観
東京都新宿区早稲田南町
開校は明治33(1900)年。現在の校舎は昭和3(1928)年に建てられた。軒先に付けられた洋風瓦やアーチ型の窓など、どこか懐かしさを感じさせるデザインになっている。銀座和光や横浜のホテルニューグランドなどを手がけた建築家・渡辺仁(わたなべじん)の設計である。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:03)
道案内 「漱石山房記念館・漱石公園」へ
「漱石山房記念館・漱石公園」へ
そのまま直進する。しばらく進むと左に記念館がある。
小学校の前の道をさらに直進する
3「漱石山房記念館・漱石公園」漱石終焉の地
東京都新宿区早稲田南町
夏目漱石の旧居跡に建てられた記念館だ。旧居(漱石山房)は昭和20(1945)年の空襲で焼失したが跡地は公園として残され、漱石の生誕150周年にあたる平成29(2017)年に記念館が開館した。展示されている書斎などは、残されていた写真をもとに再現されたものだ。記念館前には「夏目漱石終焉の地」説明板、公園入口には漱石の胸像がある。
入館料300円。月曜休館。漱石公園は入園無料。公園内にもトイレあり。
入館料300円。月曜休館。漱石公園は入園無料。公園内にもトイレあり。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:05)
漱石公園
東京都新宿区早稲田南町
明治40(1907)年から大正5(1961)年まで漱石が住んだ漱石山房が建っていた場所だ。入り口には漱石の胸像が置かれ、公園内には猫塚がある。猫塚は、漱石の没後に遺族が家で飼っていた猫・犬・小鳥の供養のために建てたといわれている。小さな管理棟(道草庵)には漱石の関連資料やパネルの展示がある。
寄り道散歩 (2024/11/13 19:25)
道案内 「加仁川の流路跡」へ
「加仁川の流路跡」へ
公園を出て左に進み、坂道を下る。
道が一番低くなっている場所まで行く。左右に見える細道はかつて川だった。
道が一番低くなっている場所まで行く。左右に見える細道はかつて川だった。
公園を出て左に曲がる
坂道を下って一番低いところがかつての川の名残
4「加仁川(かにかわ)の流路跡」谷筋を形成した川
東京都新宿区早稲田南町
右方向の市谷柳町の窪地から流れ出し、左方向の神田川へと向かう。神田川に流れ込む手前で蟹川本流と合流していた。川跡は全て埋められて暗渠になっている。この谷筋に沿って外苑東通りがあり、左右は高台になっている。江戸時代この周辺は寺町を形成しており、現在も多くの寺が残っている。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:07)
道案内 「宗参寺境内大辯財天」へ
「宗参寺境内大辯財天」へ
流路跡を通り過ぎ、少し坂を上って大通り(外苑東通り)に出る。
大通りを右折して進むと、右側に「大辯財天」の表札がかかった門がある。
大通りを右折して進むと、右側に「大辯財天」の表札がかかった門がある。
そのまま直進する
大通りに出たら右に曲がる
右に曲がったら直進する
少し進んだところの右側に門が見えてくる
5「宗参寺境内大辯財天」ポツンと残った民家風のお堂
東京都新宿区弁天町
この辺りの町名「弁天町」の由来となった弁天様を祀っている。宗参寺は漱石公園のすぐ北側にある大きな寺で、その飛地にこの弁天堂がある。寂れてしまった印象を受けるが、江戸切絵図の「市谷牛込繪圖(えず)」にも「弁才天社」と記載されている由緒あるお堂である。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:14)
道案内 「浄輪寺・関孝和の墓」へ 見どころポイント有り
「草間彌生美術館」へ
お堂の門を出て大通りをさらに進む。
30mほど先の右側に白い近代的なビルがある。
30mほど先の右側に白い近代的なビルがある。
門まで戻って大通りを右に曲がる
右に曲がったらしばらく直進する
a草間彌生美術館
東京都新宿区弁天町
水玉模様で知られる芸術家、草間彌生の作品を展示する美術館だ。ただしチケットは日時指定の完全予約制で、ウェブサイトでのみ販売になっている。今回は外観だけを見て先に進む。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:17)
「浄輪寺入り口」へ
大通りをさらに直進する。
一つ目の信号で道の反対側に渡る。
渡ったら左に進む(戻る方向)。
一つ目の信号で道の反対側に渡る。
渡ったら左に進む(戻る方向)。
美術館を超えて直進する
前方に見えてきた信号で反対側に渡る
反対側に渡る
「浄輪寺・関孝和の墓」へ
すぐ先右側の「日蓮宗浄輪寺」の表示がある横道を入る。
坂を上がった正面に浄輪寺がある。
坂を上がった正面に浄輪寺がある。
右側に見えてくる横道に入る
横道にはいって坂を上がる
左側の門から浄輪寺に入る
石畳をたどって奥に進む
6「浄輪寺・関孝和の墓」日本史の教科書に載っている人物
東京都新宿区弁天町
浄輪寺は慶長17(1612)年に平河町付近に創建され、牛込門外への移転を経て寛永12(1635)年にここに移ってきた。関孝和は御納戸組頭を務める幕臣だったが数学の才能に優れ、和算という学問を究めた。墓が浄輪寺にあるのは、孝和の生家である内山家の菩提寺がこの寺だったからだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:19)
道案内 「林氏墓地」へ
「弁天町の路地」へ
浄輪寺の門を出たら左に進み路地の奥にむかう。
突き当りを右折し直進する。
突き当りを右折し直進する。
門まで戻る
門の左側の道を進む
突き当たりで右に曲がる
右に曲がって進む
「林氏墓地」へ
突き当りを左折、すぐに右折して進む。
突き当りを左折した少し先右側に墓所がある。
突き当りを左折した少し先右側に墓所がある。
突き当たりを左に曲がる
左折した先の突き当たりでさらに右に曲がる
右に曲がって突き当たりで左折する
左折したら直進する
7「林氏墓地」林氏は去ったが墓地は残された
東京都新宿区市谷山伏町
朱子学者である林羅山(はやしらざん)は徳川家康のブレーンとして仕えた。それ以来、林家は代々幕府の学問における責任者としての立場を築いてきた。江戸時代ここに拝領屋敷があり、林家の墓もその敷地内にあった。現在は新宿区が管理をしており、国指定史跡になっている。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:22)
道案内 「試衛館跡」へ 見どころポイント有り
「新井家住宅主屋」へ
墓地の前をさらに直進する。
最初の十字路を右折して進むと、左側に新井家住宅主屋(古い洋館)がある。
最初の十字路を右折して進むと、左側に新井家住宅主屋(古い洋館)がある。
さらに直進する
十字路で右折する
右折してすすむと左前方に古い洋館が見えてくる
b新井家住宅主屋
東京都新宿区北山伏町
戦前に建てられた木造2階建ての住宅。外壁にスクラッチタイルを貼り、当時としてはモダンな建物であった。現在は登録有形文化財に指定されているが、詳しいことは不明だ。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:23)
「焼餅坂」へ
さらに直進する。
信号「市谷小学校前」で大通りを渡ったら右に進む。
信号「市谷小学校前」で大通りを渡ったら右に進む。
直進すると大通りが見えてくる
信号を渡ったら右に曲がる
曲がったら直進する
「試衛館跡」へ
下り坂の途中「柳町病院」の手前を左に入る。
右側一本目の横道を入ると、奥の神社の横に説明の標柱が立っている。
右側一本目の横道を入ると、奥の神社の横に説明の標柱が立っている。
道の反対側に「焼餅坂」の標識がある
柳町病院の手前を左に曲がる
曲がって少し進む
進むと右側に入る道がありその奥に鳥居が見える
8「試衛館跡」新撰組のメンバーが稽古に通った
東京都新宿区市谷柳町
天然理心流三代宗家の近藤周助が天保10(1839)年に開設した剣術道場跡だ。後に新撰組局長となる宮川勝五郎(近藤勇)はこの道場に稽古に通い、周助の養子となって四代目を継ぎ道場主となる。新撰組の土方歳三や沖田総司も門弟であった。道場のあった場所は正確にはわかっていないが、稲荷神社のすぐ近くにあったとの言い伝えからこの場所に標柱が立てられた。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:26)
道案内 「経王寺」へ
都営大江戸線「牛込柳町駅 南東出入口」へ
神社の前の細道を左に進む。
通りに出たら右折、坂を少し下ると大通り(外苑東通り)に出る。
大通りを右に進むと、都営大江戸線「牛込柳町駅」の南東出入口がある。
通りに出たら右折、坂を少し下ると大通り(外苑東通り)に出る。
大通りを右に進むと、都営大江戸線「牛込柳町駅」の南東出入口がある。
神社のすぐ左にある路地に入る
路地を出たら右に曲がる
路地を出たら大通りまで直進する
大通りで右に曲がって直進すると右に都営大江戸線「牛込柳町駅」の入り口が見えてくる
「経王寺」へ
牛込柳町駅の南東出入口を過ぎ、「市谷柳町」の交差点を左折して進む。
上り道の途中に寺がある。
上り道の途中に寺がある。
駅入り口を過ぎて「市谷柳町」の交差点まで進む
交差点で左に曲がって進む
渡ったら直進する
しばらく進むと紅い幟が見えてくる
9「経王寺」赤い幟(のぼり)が目印
東京都新宿区原町一丁目
新宿山之手七福神のひとつである大黒天を祀っている日蓮宗の寺だ。この大黒天は何度も火災に遭いながらも焼け残ってきたので、「開運・火伏せ大黒」として信仰されてきた。年6回ある甲子(きのえね)の日に行われる甲子祭で御開帳される。新宿区指定文化財にもなっている。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:38)
道案内 「瑞光寺横の抜け道階段」へ 見どころポイント有り
「AMBOISE(アンボワーズ)」へ
坂道をさらに進み、左側のななめの道へ入る。
瑞光寺の前を過ぎると、右側に小さなパン屋がある。
瑞光寺の前を過ぎると、右側に小さなパン屋がある。
階段を降りて左に曲がって進む
坂道を上がっていく
左側にななめの道が見えてくるので入る
通りを進んで行くと右手にパン屋さんが見えてくる
cAMBOISE(アンボワーズ)
東京都新宿区原町二丁目
テイクアウトのみの小さなパン屋だ。惣菜系からおやつ系までいろいろ選べる。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:40)
「瑞光寺横の抜け道階段」へ
パン屋の正面に、細い路地へ入る道があるので進む。
左折・右折を繰り返しながら狭い通路を進むと階段がある。
左折・右折を繰り返しながら狭い通路を進むと階段がある。
パン屋さんの真正面の路地を入っていく
参道を進んで行く
突き当たりを左に曲がった先に階段がある
10「瑞光寺横の抜け道階段」谷地の高低差を実感
東京都新宿区原町二丁目
この前方が加仁川の谷筋に続く市谷柳町の低地である。江戸時代この付近はいくつもの寺が集まっていた。現在も寺が多い地域である。この道の先一帯は明治43(1910)年まで光徳院という真言宗の大きな寺があった。光徳院は現在中野区上高田に移転している。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:41)
道案内 「浄栄寺」へ
「浄栄寺」へ
階段を下ったところにある小さな冠木門を出ると、先の方に階段が見えるので直進する。
その階段の右側をカーブするように進む。
レトロな鉄製の手すりがある階段に出るので、そこを上がる。
上がったら左折する。すぐ右側にお寺の門がある。
その階段の右側をカーブするように進む。
レトロな鉄製の手すりがある階段に出るので、そこを上がる。
上がったら左折する。すぐ右側にお寺の門がある。
先の方に見える階段を目指して進む
階段の右側の道を進む
直進すると前方に階段が見えてくるので上る
上ったら左に曲がるとすぐ右斜め前に浄栄寺の門が見える
11「浄栄寺」江戸の文人サロンでもあった
東京都新宿区市谷薬王寺町
浄栄寺は市谷田町に創建され、寛永11(1634)年に現在地に移転してきた浄土真宗の寺だ。山門(甘露門)は江戸後期のものと推定されている。江戸時代の文人である太田南畝(蜀山人)は、この寺で度々会合を開いていたという。狂歌の会などが催されていたのだろうか。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:44)
道案内 「フジテレビ本社跡」へ 見どころポイント有り
「薬王寺観世音菩薩の祠」へ
さらに直進すると、大通りに出る。
大通りを右折して進む。
二本目(市谷仲之町の信号)を右折する。 (道の反対側に公衆トイレあり)
右側に薬王寺観世音菩薩の幟が立つ小さな祠がある。
大通りを右折して進む。
二本目(市谷仲之町の信号)を右折する。 (道の反対側に公衆トイレあり)
右側に薬王寺観世音菩薩の幟が立つ小さな祠がある。
門をでたら直進すると大通りが見えてくる
大通りで右に曲がる
曲がって直進すると市谷仲之町の信号が見えてくるので交差点で右に曲がる
曲がったら直進すると右側に祠がある
d薬王寺観世音菩薩の祠
東京都新宿区市谷薬王寺町
かつてこの祠の北側、少し離れた場所に薬王寺があった。寺は明治初年に廃寺となり建物等は残っていない。ただ、「市谷薬王寺町」という町名だけが昔のまま残ることになった。この観世音菩薩の祠は薬王寺と何らかの関係があるのかもしれないが由来等は不明である。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:47)
「フジテレビ本社跡」へ
先に進み、牛込仲之小学校前を過ぎる。
次の信号で左折する。
右側に高層マンションがある。
次の信号で左折する。
右側に高層マンションがある。
祠をすぎて直進する
左前方に高い建物が見えてくる
信号を渡って直進する
12「フジテレビ本社跡」痕跡を残さずお台場へ移転
東京都新宿区河田町
昭和34(1959)年の開局から平成9(1997)年までここに本社とスタジオがあった。跡地は「河田町ガーデン」という高層マンション群になっている。残念なことに、マンション敷地内にはフジテレビに関する説明板等は何も置かれていない。テレビの歴史を語るうえでも、何らかの表示があっても良いのではないかと思う。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:49)
道案内 「念仏坂」へ
「念仏坂」へ
さらに直進して進むと下りの階段がある。
「フジテレビ本社跡」痕を通り過ぎ直進する
進んで行くと前方に下り階段が見えてくる
13「念仏坂」ジク谷への降り口
東京都新宿区市谷仲之町
途中でカーブしている階段坂道だ。けっこう急な階段なので、昔は念仏を唱えたくなるほど危険な坂だったのかもしれない。ここを下った先が、「ジク谷」とよばれていた谷である。靖国通りに沿って流れていた紅葉川に注ぐ支流があり、ジクジクとした湿地帯だったらしい。現在その谷筋は「あけぼのばし通り」になっている。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:52)
道案内 「金辯財天」へ 見どころポイント有り
「フジテレビ道標」へ
念仏坂を下りて、「あけぼのばし通り」に出る。
丁字路の角に赤い文字が刻まれた標柱が立っている。
丁字路の角に赤い文字が刻まれた標柱が立っている。
坂を下りたら直進する、左側の角に標柱がある
eフジテレビ道標。
東京都新宿区住吉町
靖国通り方面から旧フジテレビへ行くときの道案内の標柱が残されている。河田町にフジテレビがあったことを示すたった一つの痕跡である。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:54)
「金辯財天」へ
右に曲がり、あけぼのばし通りを直進する。
「かわだ児童遊園」を過ぎ、日生薬局の先を右に入る。
直進すると階段があり、その左側に小さな神社がある。
「かわだ児童遊園」を過ぎ、日生薬局の先を右に入る。
直進すると階段があり、その左側に小さな神社がある。
右に曲がって直進する
右側にある日生薬局が目印
日生薬局の少し先の路地を右に入る
路地の先にある階段の左側に金辯財天がある
14「金辯財天(こんべんざいてん)」お参りすると金運を呼ぶ
東京都新宿区河田町
江戸時代この地にあった松平伯耆守(ほうきのかみ)の屋敷内に祀られていた社である。明治36(1903)年に東京女医学校がここに移転してきたときも残っていて、昭和の終戦後に現在地(東京女子医大が提供した土地)に移された。狛犬ではなく「狛巳(こまへび)」が置かれており、よく見ると左右でとぐろの巻き方が違う。金運のほかに、医大との縁で病気平癒にもご利益があるそうだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:57)
道案内 「出世稲荷神社」へ
「河田町の路地」へ
来た道を少し引き返し、一本目を右に入る。片側コンクリート壁の道を直進する。
突き当りを左折、すぐ右折して進む。
突き当りを左折、すぐ右折して進む。
「金辯財天(こんべんざいてん)」の手前の路地に入る
突き当たりを左に曲がる
曲がってすぐの横道に入る
入ったら直進する
「出世稲荷神社」へ
突き当りを右折する。
すぐ先左側に「余丁東児童遊園」に入る階段があるので上がる。(公園内トイレあり)
公園を回り込むように進むと奥に神社がある。
すぐ先左側に「余丁東児童遊園」に入る階段があるので上がる。(公園内トイレあり)
公園を回り込むように進むと奥に神社がある。
突き当たりで右折する
右折すると左方向上に公園が見えてくる
階段を上がって公園に入る
階段を上って右に進むと奥に神社が見える
15「出世稲荷神社」当地に鎮座して500年
東京都新宿区余丁町
長禄元(1457)年、太田道灌によって江戸城内に勧請され、大永6(1526)年に現在地に遷座された。江戸城内に勧請されたきっかけが道灌の家臣・粟津民部豊重の夢に稲荷神が現れたことだったので、江戸時代は粟津稲荷大明神とよばれていた。出世稲荷と称するのは明治になってからだが、その理由は不明だ。戦災で社殿等が焼失したが、昭和45(1970)年に境内の半分を公園用地として新宿区に売却、その資金で2年後に現社殿を新築した。
寄り道散歩 (2024/11/07 13:59)
道案内 「小笠原伯爵邸」へ
「小笠原伯爵邸」へ
社殿左側の通路から神社の外に出る。
すぐ先に見える大通りを右に進む。
信号まで直進し、右に曲がる。
少し先に交番(河田町交番)があり、その裏手に洋館が見える。
すぐ先に見える大通りを右に進む。
信号まで直進し、右に曲がる。
少し先に交番(河田町交番)があり、その裏手に洋館が見える。
神社の横を通り外に出る
外に出て右に見える大通りの方に進む
大通りを右に曲がり信号まで直進する
信号で右に曲がると右前方に交番が見えてくる
16「小笠原伯爵邸」レトロ建築のレストラン&カフェ
東京都新宿区河田町
豊前小倉藩小笠原家の下屋敷があった場所に、小笠原家の当主・小笠原長幹(ながよし)伯爵が昭和2(1927)年に建てた邸宅だ。スパニッシュ様式の洋館で、噴水のある中庭(パティオ)がある。戦後米軍に接収されたが昭和27(1952)年に返還され、その後は東京都が買い取り管理をしている。現在は建物の維持管理を条件に公募によって一般に貸し出され、スペイン料理レストランになっている。カフェ利用ならば予約なしでも入れ、内部を見ることも可能だ。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:01)
道案内 「大久保の犬御用屋敷跡説明板」へ 見どころポイント有り
「民芸品店備後屋」へ
河田町交番の横まで戻る。
大江戸線「若松河田駅」入り口前の信号で道を渡る。
渡って右に進むと、民芸品店がある。
大江戸線「若松河田駅」入り口前の信号で道を渡る。
渡って右に進むと、民芸品店がある。
門を出て右前方に見える交差点を反対側に渡る
信号を渡って通りの反対側に、渡ったら右に曲がる
右に曲がったら少し進むと左側にお店が見えてくる
f民芸品店備後屋
東京都新宿区若松町
陶器・手ぬぐい・和紙製品などの民芸品や雑貨を扱うお店だ。品数が豊富で、魅力的な商品が多い。月曜定休・第3土曜とその翌日休業。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:03)
「大久保の犬御用屋敷跡説明板」へ
元の道を戻り、信号を過ぎて直進する。
少し進むと右側に若松地域センターがある。(トイレ利用可能)
センター敷地の角に説明板が立っている。
少し進むと右側に若松地域センターがある。(トイレ利用可能)
センター敷地の角に説明板が立っている。
元の道に戻って進む
しばらく進むと右手に地域センターが見えてくる
地域センターの前を進む
右に入る角に説明板がある
17大久保の犬御用屋敷跡説明板
東京都新宿区若松町
徳川綱吉の発した生類憐みの令により、飼い主のいない犬を収容する犬屋敷がこの辺りにつくられていた。犬屋敷といえば中野が有名だが、大久保の犬屋敷もかなりの大きさだったという。四谷にも犬屋敷があったが、場所は四谷というよりは現在の千駄ヶ谷辺りだったそうだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:04)
道案内 「厳島神社・抜弁天」へ
「厳島神社・抜弁天」へ
さらに直進し、緩やかな坂道(団子坂)を上がる。
「抜弁天」の信号まで来ると、道の反対側に神社の鳥居が見える。
道を渡り、鳥居から神社に入る。
「抜弁天」の信号まで来ると、道の反対側に神社の鳥居が見える。
道を渡り、鳥居から神社に入る。
直進して団子坂を上がっていく
上がりきった先に抜弁天の信号がある
反対側に鳥居が見える
道を渡ったら左に曲がる
18「厳嶋(いつくしま)神社・抜弁天(ぬけべんてん)」運気が上がるパワースポット
東京都新宿区余丁町
源義家が奥州平定に向かう際、この地で遥か西の厳島神社に向かって戦勝祈願をおこない、勝利の御礼として帰途に神社を勧請したのが始まりと伝わる。義家が苦しい戦いを切り抜けたことから苦境を抜け出したい人々の信仰を集め、また、境内が通り抜けられることからも「抜弁天」とよばれるようになった。「弁天」とよばれるわけは、厳島神社の主祭神・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が、神仏習合の時代は仏教の弁財天と同一とされていたからである。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:06)
道案内 「久左衛門坂」へ
「久左衛門坂」へ
入ってきた鳥居と反対側(南側)の鳥居を出たら右に進む。
「抜弁天」交差点に戻り、先ほどと同じ横断歩道で道を渡る。
渡ったら左に進み、そのまま直進する。次第に下り坂になってくる。
右側の分かれ道のようになっている坂道の方を進む
「抜弁天」交差点に戻り、先ほどと同じ横断歩道で道を渡る。
渡ったら左に進み、そのまま直進する。次第に下り坂になってくる。
右側の分かれ道のようになっている坂道の方を進む
反対側の鳥居から外にでて右に曲がって信号まで戻る
信号を渡って左に
下り坂を進む
しばらく進むと右斜めに入る道が見えてくる
19「久左衛門坂」蟹川が削った低地へ下りる
東京都新宿区新宿七丁目
この辺りの名主であった島田家の草創・久左衛門が開いた坂道なのでこの名が付いた。かつて坂の下には蟹川が流れていた。新宿歌舞伎町の北側を源流とするこの川は、戸山から早稲田にかけて広範囲に土地を侵食し、大きな窪地を形成した。大久保という地名も「大きな窪」があったからだといわれている。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:08)
道案内 「大聖院」へ 見どころポイント有り
「抜弁天通り下のトンネル」へ
左側一本目の横道を曲がる。
トンネルを抜け、信号を越えて直進する。
トンネルを抜け、信号を越えて直進する。
久左衛門坂を下って行く
最初に見えてくる左に入る横道に進む
前方に見えるトンネルを抜けて先に進む
トンネルを抜けた先の信号をさらに進む
「紅皿の墓」へ
しばらく進むと、左側に石階段(不動坂)がある。
石階段は上がらずに、坂道の方を上がり駐車場に入る。
石階段は上がらずに、坂道の方を上がり駐車場に入る。
左側に階段を駐車場に続く坂道が見えてくる
駐車場へ続く坂道を上がる
上がったら右に曲がり更に奥に進む
駐車場の右手方向に「紅皿の墓」がある
g紅皿の墓
東京都新宿区新宿六丁目
駐車場の入り口近くに紅皿の墓と伝わる板碑がある。太田道灌に山吹の枝を差し出したという逸話に登場する娘だ。紅皿は晩年この近くに庵を結んで暮らしたという。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:12)
「大聖院」へ
元の道を戻り、先ほどの石階段の所まで下りる。
石階段(不動坂)を上がると、寺と神社が一続きの敷地に入る。
石階段(不動坂)を上がると、寺と神社が一続きの敷地に入る。
元の道を戻る
坂を下って入り口左側の階段を上る
階段を上がる
階段を上がると左側に大聖院が見えてくる
20「大聖院」不動明王を本尊とする修験道の寺
東京都新宿区新宿六丁目
大聖院は天台寺門宗の寺で、隣の西向天神社の別当寺であった。年代は不詳だが、もともと春日部にあったものが移ってきたと伝わる。この寺は修験道とのかかわりが強く、そのため一般的な寺とは少し違う雰囲気がある。所有している大聖院文書は新宿区の登録有形文化財に指定されている。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:13)
道案内 「西向天神社」へ 見どころポイント有り
「新宿の女 歌碑」へ
大聖院の建物の前を過ぎ、さらに奥に進む。
左側に石碑がある。
左側に石碑がある。
さらに奥に進む遊具を超えた先の左奥に石碑がある
西向天神社との間にある、気をつけてないと通り過ぎてしまう
h新宿の女 歌碑
東京都新宿区新宿六丁目
「新宿の女」は昭和44(1969)年に発売された藤圭子のデビュー曲。この曲を作詞作曲した「石坂まさを」の創作活動30周年を記念して平成11年に建てられたものだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:15)
「西向天神社」へ
さらに奥に進むと神社がある。
歌碑の少し先に神社がある
21「西向(にしむき)天神社」鎮守の森にひっそりと建つ
東京都新宿区新宿六丁目
栂尾明恵上人(とがのおみょうえしょうにん)によって、京都の北野天満宮から安貞2(1228)年に勧請された。京都の方角を向くように西向きに建てられたという。東大久保村の鎮守として地元の人々に信仰されてきた。古社にふさわしく周囲は樹木に囲まれていて静かだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:17)
道案内 「富士塚(東大久保富士)」へ
「富士塚(東大久保富士)」へ
神社の本殿を過ぎ、さらに奥に進む。
小さな階段を上がると、その先は広場になっている。
広場の一番奥、フェンスの外側に富士塚がある。
小さな階段を上がると、その先は広場になっている。
広場の一番奥、フェンスの外側に富士塚がある。
さらに進むと前方に階段が見えるので上がる
階段を上がって右奥に進む
22富士塚(東大久保富士)
東京都新宿区新宿六丁目
天保13(1842)年の築造と伝わる。江戸切絵図にも西向天神の隣に「不二」として描かれているので、当時から有名な富士塚だったと思われる。西向天神の境内から見ると小さな塚にしか見えないが、下から見上げるとかなりの大きさだ。
寄り道散歩 (2024/11/07 14:20)
道案内 「東新宿駅」へ 見どころポイント有り
「富士塚の裏」へ
富士塚(東大久保富士)の左側に進み建物とトイレの間を抜けて右側にある階段を下りる。
階段の途中で富士塚(東大久保富士)を裏側から見上げることができる。
階段の途中で富士塚(東大久保富士)を裏側から見上げることができる。
富士塚の左側に進む
正面の道を右に進む
長い階段を下りる
i富士塚(東大久保富士)裏
富士塚(東大久保富士)を下から見上げることができる。
かなりの高さがあることがわかる。
かなりの高さがあることがわかる。
寄り道散歩 (2024/11/29 09:48)
「西向天神社入り口」へ
階段を下りる。
通りにでたら右に曲がり進む。
西向天神社入り口前で左に曲がり前方へ道を進む。
通りにでたら右に曲がり進む。
西向天神社入り口前で左に曲がり前方へ道を進む。
通りに出たら右に曲がる
直進すると右側に西向天神社の鳥居が見えてくる
西向天神社入り口で左に曲がる
曲がったら直進する
「東新宿駅」へ
しばらく直進すると「新宿イーストサイドスクエア」の敷地に入る。
前方右に階段、左にはトンネルがある。トンネルの方へ進む。
池のある広場に出る。周囲には各種飲食店が並んでいる。
さらに進むと、一番奥右側に地下鉄への連絡通路がある。
前方右に階段、左にはトンネルがある。トンネルの方へ進む。
池のある広場に出る。周囲には各種飲食店が並んでいる。
さらに進むと、一番奥右側に地下鉄への連絡通路がある。
直進すると前方に右側に階段、左にトンネルが見えてくる
トンネルの先には池のある広場があるので池の右側を奥に進む
左右に飲食店が並んでいる
更に奥に進むと右前方に地下鉄の入り口が見えてくる
23東京メトロ副都心線・都営地下鉄大江戸線「東新宿駅」
東京都新宿区新宿六丁目
A3出入り口
東京メトロ副都心線「東新宿駅」
都営地下鉄大江戸線「東新宿駅」
東京メトロ副都心線「東新宿駅」
都営地下鉄大江戸線「東新宿駅」
寄り道散歩 (2024/11/07 14:24)